泉岳寺中門で義心の忠義を感じる。
泉岳寺 中門の特徴
泉岳寺の入口に位置する中門は歴史的な価値がある。
元は三つの門が存在した中門は、今なお風情を残している。
曹洞宗萬松山 泉岳寺は1612年に創立された名刹である。
天保7年(1836)の再建で昭和7年(1932)に大修理が施されたそうです。
泉岳寺三門のうちの一つ。前門。天保七年(1836年)に再建され昭和七年に大修理が施されています。門に掛かる「萬松山」の額は、中国明時代の禅僧・為霖道霈(いりんどうはい)による書だそうです。(泉岳寺HPより)
昭和時代に再建された泉岳寺中門です。今は中門、山門しか残っていませんが、昔は総門もありました。中門と山門の間に少ないながらもお土産屋さんがあります。もちろん忠臣蔵メインです。
泉岳寺には総門、中門、山門の3つの門があったそうですが、今は中門と山門が残っているそうです。
泉岳寺で最初にくぐる門。
義心の忠義です。数々の映画やドラマになっていますが、義士が此処に眠っている実感が湧いてきます。
泉岳寺中門。泉岳寺の三門には山門、中門、総門があったが、現在は中門と総門となっている。
泉岳寺の入口になります。
曹洞宗「萬松山 泉岳寺(ばんしょうざん せんがくじ)」は、1612(慶長17)年に「徳川家康」(1543/天文11年~1616/元和2年)が、駿河の戦国大名「今川義元(いまがわよしもと)」(1519/永正10年~1560/永禄3年)の孫「門庵宗関(もんなんそうかん)」(1546/天文15年~1621/元和7年)を招いて、現在の警視庁周辺「外桜田」の創立した寺院だという。しかし、1641(寛永18)年に焼失し、時の将軍「徳川家光」(1604/慶長9年~1651/慶安4年)の命を受けた「毛利(もうり)」「浅野(あさの)」「朽木(くつき)」「丹羽(にわ)」「水谷(みずのや)」の五大名によって、現在地「高輪」での復興をはたしたという。現在の「中門」は、1836(天保7)年に再建され、1932(昭和7)年に大修理がなされているというが、現地に「元来、泉岳寺には三門といって三つの門(総門・中門・山門)がありましたが、現在は中門と山門のみが残っています」と案内される。なお、「萬松山」額は中国「明」(1368~1644)から「清」(1644~1912)の時代の禅僧「爲霖道霈(いりんどうはい)」(1605/順治7年~1702/康熙41年)の書によるという。
| 名前 |
泉岳寺 中門 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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まずは泉岳寺の中門をくぐります。