海神社で豊玉姫命に出会う旅。
海神社(三本松)の特徴
環境省登録の巨樹が見られる神聖な場所です。
御祭神の豊玉姫命が祀られている歴史ある神社です。
桜のトンネルを抜け、静かな宇陀川のせせらぎを楽しめます。
御祭神様☆豊玉姫命様別称なるみ宮、1396年に室生龍穴神社から☆善如龍王様を、その以前から祠がありました。明治の神仏分離例により、御祭神の善如龍王様は本地え帰り、豊玉姫命様が祀られました。豊玉姫命様は海神であり水の神様です。
桜のトンネルを抜けて橋を渡るとすぐ海神社さんです。大きな木に囲まれています。
☆6月5日、菖蒲園の紫陽花の様子を聞きに行った帰りに、立ち寄りました。石の鳥居の両側に巨大な木々が、境内は広はありません。参拝する所にお守りと御札がは行った箱が置かれ、それぞれ500円で購入できます。社務所と書いてる建物は閉まっていて、御朱印帳を書いて頂きたかったのですが誰もいませんでした。いつも人がいないのか、分かりませんでした。海神社の前に石碑が建てられているので、近くに来られたら見てください。駐車場は無く、空き地に止めて行きました。トイレもありません。
どなたか、海神社の横の宮の滝に行かれた方いますか?
ここは雨乞いか 水に関した神社なのか お祀りしているのは豊玉姫命 竜神の娘さん あの海幸山幸の神話に出てくる姫なのですね。
金の属性の方には、相性の良い水。海、龍神様を大切にし、土からの恩送りが大切と思いました。
11月のある日、海神社とは珍しい名前だと思い立ち寄りました。宇陀川にかかる細い橋を恐る恐る車で渡ります。この橋がいつできたかは分かりませんが、橋のたもとにこの海神社があるので、昔から(例えば平安時代)からここには橋が架かっていたのでしょう。ちょうどきれいなイチョウの落ち葉でいっぱいで吸い込まれるように参拝いたしました。境内はきれいに掃除されていて、地域の方の信仰が今に続いていると感じました。鳥居の前に、立正大学教授の富田和子さんの碑がありました。どういう由縁かは分かりませんが、この土地を愛した人だということは分かりました。
海(かい)神社(宇陀市室生三本松)は近鉄三本松駅の南側に鎮座する。海のない奈良県にあっては不思議な名前だが、ご祭神は海神の化身・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)だ。同名の神社は隣駅の室生口大野や西吉野(五條市)にもあり、いずれも水の神を祀っている。 この神社は宇陀川南岸にあり、鳥居の手前には川を背に「山神」と彫られた石が祀(まつ)られている。ほとんどの神社は本殿が南か東を向いているが、ここは北北西を向いているのが珍しい。 本殿から正面の鳥居を望むと山神、宇陀川、伊勢街道と、ふたこぶの鎌倉山が目に入る。本殿からまっすぐ北に見えるのは、安産寺(宇陀市室生三本松)だ。室生寺から移座されたともいわれる地蔵菩薩像を祀る。 鎌倉山のことを古老に聞いた。「昔は雨ごいで登った。山の名は鎌倉幕府第5代執権・北条(ほうじょう)時頼(ときより)がこの地の長命寺(ちょうめいじ)に参籠(さんろう)し、山の滝に打たれて修行したという伝承に由来する」とのこと。さらに「海神社の手水(ちょうず)へは、山麓から1キロメートル以上も管を引き、水質保証つきの清水を送っている」とも。 時頼は謡曲「鉢の木」で知られる30歳で執権を退き、出家して最明寺(さいみょうじ)入道(にゅうどう)となった時頼が、雪の東国を旅しているとき、御家人の佐野源左衛門が貧しさのあまり秘蔵の盆栽を燃やして暖を提供してくれた。のち源左衛門は「いざ鎌倉」の緊急時、やせ馬で駆けつけたという。 関西の奈良県に時頼の足跡とは驚きだ。改めて調べると、時頼は母・松下(まつした)禅尼(ぜんに)の影響を受けた熱心な仏教徒で、鶴岡(つるおか)八幡宮寺(はちまんぐうじ)の別当には、京の朝廷と結びついた天台宗延暦寺(えんりゃくじ)を避け、真言密教系の僧を登用。また政策決定には、禅宗の中でも臨済宗(りんざいしゅう)の僧を重用している。政治においても、宗教政策が大きな比重を占めていたのだ。また彼が創建した建長寺(けんちょうじ)の本尊は禅宗では珍しい地蔵菩薩だ。 奈良における時頼の影響を調べると、東大寺の鎮守である手向山八幡宮を現在地に建て、霊山寺(りょうせんじ)に厚く帰依(きえ)したことがそれぞれの由緒に記されている。地蔵信仰という点から見ると、東大寺にも霊山寺にも鎌倉期の地蔵菩薩像が祀られている。推測だが、安産寺の地蔵菩薩像が真言宗の室生寺から来たものとすれば、時頼の存在が何らかの形で関与しているのではなかろうか。 長命寺には「源義経や北条時頼がここに参籠し、岩の上で琴(こと)を弾(ひ)いた」という伝承があり、かつてこの地は琴弾(ことひき)峠といったそうだ。人物埴輪(はにわ)に見られるように、琴を弾くことは武人のたしなみだった。 琴弾峠の名はその伝承に由来するのだろうが、日本武尊(やまとたけるのみこと)の魂は白鳥となり一時大和の琴弾原(ことひきはら)にとどまった、という「日本書紀」の影響ではないかという想像も捨てがたい。峠の北東には日本武尊を祭神とする白鳥神社もある。 ここは、古代には倭姫(やまとひめ)や大海人皇子(おおあまのみこ)、江戸時代には本居宣長(もとおりのりなが)が通ったという伊勢街道に面している。伊賀と大和の国境(くにざかい)にあるこの地には、古代から鎌倉時代に至る歴史の謎が秘められていて、汲(く)めども興味は尽きない。
ご祭神:豊玉姫命境内社:大己貴命神社,山ノ神。
名前 |
海神社(三本松) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=33960 |
評価 |
4.0 |
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環境省巨樹巨木林DBに登録されている巨樹がある。DBには海神社として登録No.47919~47924に3~4mのスギ、イチョウが登録されているが、近くに別の海神社(大野)がありどちらの登録か不明。3mを越えそうな巨樹は境内には確認できなかったが、拝殿左側の小屋の横に大きな切り株が確認できた。登録されていた杉の一本が伐採されたものではないだろうか。