本堂寄りの立派な墓石。
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名前 |
小川九郎兵衛墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
4.0 |
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境内を抜けた墓地の最も本堂寄りのところに、立派な墓石を構えています。この墓も小平市史跡に指定されています。小川九郎兵衛は、多摩郡岸村(現・武蔵村山市大字岸)の出身です。その先祖は後北条氏に仕えた武士で、同氏滅亡後、岸村に土着し、有力者となったとみられています。九郎兵衛が小平に目を向けたのには、玉川上水の開削が影響していたと考えられます。江戸市民の飲料水確保のために進められた玉川上水の開削は、1653年に始まり、翌年に完成しています。一方、石灰を運ぶためのルートとして開かれた青梅街道は、田無宿〜箱根が崎宿の5里(約20キロ)に宿場がなかったことから、この間で行き倒れる人もあったといいます。水を確保できるのなら宿場を造れる——。小川九郎兵衛はそのように考え、「往還の人馬を救うために、自費でもって新田を造りたい」と代官にかけあい、明暦2年(1656年)に許可を得ます。以降、農民を集め、開墾していきました。一説では、晩年は故郷の岸村に戻ったともされており、岸村の禅昌寺にも小川九郎兵衛の墓が築かれています。