難波宮跡で歴史を感じる!
難波宮跡の特徴
難波宮跡は、大阪城の近くに位置する歴史的な場所です。
雑草が生い茂る中、家族連れがピクニックを楽しむ広大なスペースです。
古代のロマンを感じられる、大化改新の舞台となった史跡です。
平城宮から遷都し難波宮は僅かな時を挟んで平安京の歴史。歴史の記憶に残る間も無く難波宮は、幻の如く消えましたが、太古から人は住み当地はもちろん周辺は遺跡だらけです。公園として整備されて、各種催しが随時開催されています。区民祭り、四天王寺と難波宮を練り歩くいにしえの祭事、屋外演劇など開催されるています。かつては上町台地の北端に位置し、飛鳥への入り口でした。司馬遼太郎の歴史小説の大切な舞台でもあります。上町台地の周りは海が広がり半島の岬にあたるのがこの地。そんな想いで探索するとより楽しめます。徒歩で上町台地の稜線沿いに南下すると四天王寺に辿り着きます。それがかつての国道1号線です。辿り着くのは飛鳥です。そばを走る高速道路がこの辺りだけ地下埋蔵物保護の為、高架工事を行わないのには理由があるのです。おかげで、大阪城もよく見えます。
日本で最初の宮殿跡が残っている。広いしばふのある公園。ボールが蹴れる公園がなくなってきているので、思いっきり蹴れます。イベントしている時もあります。
ここに都がありました。隣の大阪歴史博物館で難波宮の事が詳しく勉強出来ました。入館料600円。
2025年7月13日訪問😀大阪城が見えました。真田丸跡から歩いて約15分程度で到着😀大化の改新から大阪夏の陣まで、歴史を感じるところですねえ😀✨
いよいよ北部ブロックも整備され2025年3月にオープンしました!こちらは難波宮のうち、天皇の私的空間部分に位置する場所で、内裏の跡地とかが、新旧の難波宮共に、色分けでとても分かりやすくなっています!柱の位置もわかります。内裏のところは、登れるところが出来ていて、難波宮宮跡を一望できます。とても素敵で、歴史に想いを馳せることができます。大和から拡がってきた都、当時の街がこの地に達し、一時的に首都ともなり、ウキウキ歴史を感じちゃいます。上町台地の北の方の端に近くでもあり、もちろん、大阪城も比較的近いし、NHK大阪のすぐ横でもあります。この難波宮跡の地中遺跡を守るため、昭和の時代に、地中への杭打ちが不要な地上の道路になった経緯もパネルからよく分かります。もちろんこれまでの南側ブロック(主に公的な行事が行われていたりして行政のコア)と共に、しっかり歴史が保存され、かつ、北側ブロックも公園として普通に遊べるし、史跡も楽しめます。更には!いろんな飲食店も隣接して多数オープン!オシャレで素敵なお店がたくさんあります!歴史ロマンを感じる人と、広~い公園として普通に遊ぶ人と、共に共存できるとても素敵な公園として整備されました!!
龍海寺→堂島米市場跡→適塾史跡公園、摂津国府跡推定地あたりの北大江公園を経て、当所難波宮跡に至る。docomoバイクシェアにてレンタサイクルで廻り、北大江公園と難波宮跡との距離感を掴む。幾度となく国府は変遷したと言えど、まぁこの距離感のなか設置されてたんだろうなと。難波宮跡には実地で来て広さや肌感覚を得て、隣接する大阪歴史博物館上層階から見下ろして全体像を掴み、展示内容から詳細を得て欲しい。
3年ぶりの四天王寺ワッソのイベント見ました。きれいでした。
NHKの帰りに四天王寺ワッソをやっていたのでよってみたK-POPの踊りや売店も何軒もあった。抽選会もあった。
歴史的な価値ある建造物ですが、スケボー小僧があろうことが柱の跡使ってアクションしてやがる。
| 名前 |
難波宮跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
06-6469-5188 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
http://www.pref.osaka.lg.jp/bunkazaihogo/bunkazai/naniwamiyaatokouen.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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難波宮が歴史上に登場する機会は二回あります。ひとつは大化の改新直後に、飛鳥から遷都される形で造営された、前期難波宮。もう一つは奈良時代、聖武天皇が遷都を繰り返していた時期に、恭仁京と紫香楽宮の間、わずか1年足らず都がおかれた後期難波宮。隣接する大阪歴史博物館には、難波宮の詳しい展示説明があります。現在は両方の難波宮跡が史跡公園として整備されています。公園は中央を横切る阪神高速と中央大通によって南北に分断されています。このうち北側は最近整備され、芝生と石畳の美しい公園になっています。一角にはカフェなどがならぶ商業施設「なノにわ」もあり、史跡というより大阪城見学者の休憩施設のようになっています。一方、南側は昔ながらの史跡公園で、大極殿跡などの遺構が残されています。平城宮跡のように建物が復元されることもないでしょうし、地味な存在ですが、大阪城築城よりはるか以前、この地に都があったことを想像してみるのもよいかと思います。