松浦の鐘、歴史感じる安全の象徴。
松浦の鐘の特徴
松浦の鐘は葛飾区指定有形文化財に指定されています。
水元公園沿いに位置し、歴史的な魅力を感じる場所です。
小愛村の主が捧げた梵鐘が地元の人々に親しまれています。
子供の頃からこちらに鐘があることはわかっていたのですが、改めて来てみて説明板を見てみると理解できました。私が子供の頃、この界隈の地名に「水元小合町」「水元猿町」とか「飯塚」という地名がありましたが、水元小合町のルーツになる事項が記載されていましたね。
梵鐘(通称 松浦の鐘)について所在地葛飾区東金町五丁目5番地先指定年月日 昭和52年(1977)3月19日旧下小合村の領主は、長崎奉行や勘定奉行に任ぜられた松浦河内守信正 (1693~1769) です。 晩年は下小合村に隠居し、菩提寺である龍蔵寺に葬られました。この梵鐘は、信正が宝暦7年 (1757) に下小合村の龍蔵寺に奉納したものです。 作者は下野佐野の鋳物師利右衛門で、総高 121.4cm 口径 68.5cm 、中央部4か所に梵字があります。さらに明和6年 (1769) 5月信正の没後に、 遠江国宝泉寺住職勝東州撰の銘文が追刻されました。 明治期の廃仏毀釈で、龍蔵寺が廃寺になると、鐘は村有となり水害や非常の際に用いられました。なお、信正が生前に自ら造立した墓塔は円盤状で、今は青戸の宝持院に移されています。葛飾区葛飾区教育委員会。
遊歩道にある。
葛飾区指定有形文化財梵鐘。
水元公園沿いの水元さくら堤に保存された文化財、梵鐘。目の前にバス停もありアクセスし易いです!
松浦の鐘は、現在の東金町である小愛村の主であった松浦河内神信政によって龍蔵寺に捧げられました。 1873年に寺院は放棄され、ベルは村が所有し、非常用の鐘として使用されました。第二次世界大戦中であっても、政府への配達を免れました。現在、葛飾区指定有形文化財として保存されています。(原文)Matsuura no Kane (Matsuura's bell) was dedicated to Ryuzoji Temple by Matsuura Kawachinokami Nobumasa who was the lord of Koai Village (is the current Higashi Kanamachi). The temple was abandoned in 1873, then the bell was owned by the village and used as an emergency bell. Even during World War II, it escaped from delivery to the government. Now it's preserved as a Katsushika City-designated tangible cultural properties.
屋体が変わりましたか?
名前 |
松浦の鐘 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

水害対策の警報ツールとして寄付され地域の生活安全に役立ったとのこと👍勉強になりました😊