民家の前で見つけた安らぎ。
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名前 |
腰折地蔵 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
4.0 |
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民家の前に建っています。元々は高田馬場駅近くにあったそうです。元禄7年2月11日(1694年3月6日)、中山安兵衛(後の堀部安兵衛)の「高田馬場の決闘」の際に、一人の武士がこの地蔵の後ろに隠れ、追手が刀で斬りつけたため地蔵の腰に刀傷がついたことから「腰折地蔵」と名づけられたということです。ちなみにこの決闘から8年後、安兵衛は赤穂浪士の一人・堀部安兵衛として、吉良邸討ち入りを実行します。戦前には縁日が立ったり、地蔵堂で百万遍が行われたりしたそうですが、戦災で壊れてしまったため現在の地蔵尊は戦後の再興だそうです。