浅草で味わう万次郎の歴史。
ジョン万次郎の墓の特徴
ジョン万次郎の墓は江戸時代末期からの歴史を秘めた場所です。
近くには贈政五位の長濱万次郎翁記念碑があります。
大河ドラマジョン万次郎キャンペーンの署名も募集中です。
写真には写ってないけど、紹介札みたいなものがあって、そこにジョン万次郎が何をした人かみたいなのが簡単に書いてあったのが良かった。
土佐漁師の息子であったジョン万次郎(1827-1898)、船が難破したが米国捕鯨船に救助されて米国に渡り、米国で教育を受ける。帰国後、日米修好通商条約の批准など日米の交流促進で貢献。
高知県土佐清水市で生まれた中浜万次郎さん。またの名をジョン万次郎さん。通称ジョン・マン9歳で漁師になり漂流してアメリカ船に助けられ、アメリカの事を学び航海士にもなり、まぁ~~~この人の事を書いたら語り切れないほどの人材であるジョン万次郎さんのお墓です。子孫の方が維持管理してるかは不明ですが綺麗に管理されてました。場所も道路からすぐにあり簡単に見つけれました。ジョン万次郎ファンは1度行かれるのがおすすめですね。
55年前何も知らず毎日墓地の中通ってた。
地元の高知県土佐清水市では大河ドラマを「ジョン万次郎」にのキャンペーンの署名募集中です、何れ決まるかも知れませんね?
贈政五位 長濱万次郎翁記念碑、隣に東郷青児の碑。正四位。夏目漱石1-14-1竹久夢二1-8-9ジョン万次郎1-15-19小泉八雲1-1-8永井荷風1-1-7泉鏡花1-1-13
ジョン万次郎(ジョン まんじろう)1827年1月27日〈文政10年1月1日〉 - 1898年〈明治31年〉11月12日江戸時代末期(幕末)から明治にかけてアメリカ合衆国と日本で活動した日本人。土佐国(現・高知県)出身。ジョン万次郎という呼称は、1938年(昭和13年)に第6回直木賞を受賞した『ジョン萬次郎漂流記』(井伏鱒二)で用いられたことで広まったもので、それ以前には使用されていない。日米和親条約の締結に尽力し、その後、通訳・教師などとして活躍した。
残念ながら花は生けられていなかった。居酒屋で店名に使っていたように思うが、毎日生けて欲しいな!
ジョン万次郎こと中濱万次郎の墓です。1種15号19側に日ノ出のほうを向いてたっています。幕末から明治にかけて日米を奔走した日米和親条約の功労者ですが「ジョン万次郎」は後世の人がかってにつけた呼び方なんだそーで。ひときわ高い墓碑が池袋の高層ビル群に負けないようそそりたっています。100年で日本こんなんなっちゃったよジョンさんや。
| 名前 |
ジョン万次郎の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
先日、ジョン万次郎さんがよく通った浅草の鰻屋でランチをいただきました。当時と同じ味であるかは分かりませんが美味しかったです。