東大社で感じる神秘の森。
東大社の特徴
冷んやり涼しい社森があり、静かな雰囲気が漂う神社です。
五穀豊穣を祈願する弓矢の神事が有名な東大社です。
奇妙なケヤキが横顔に見え、訪れる価値があるスポットです。
景行天皇が東国巡幸の折に、春臣命に命じて一社を造営、玉依姫尊を祀って東海の鎮護としたことが始まりであるという旧県社。詳細は略記にあるとおりですが、20年ごとに行われる式年大神幸祭はこの地域で有名。格を感じる神社です。
たまにこの神社でお参りしに行くのですが、お参りした後は記念として、写真を何枚か撮っています。その奥には小さい塀みたいなところに弓を撃つ的があります。小さい売店みたいな小屋はなかったんだけど。その裏にある小屋の中に神輿が保存してありました。でっかい森や小さい古民家とか田んぼや畑に囲まれた神社だけど。とても落ち着いた場所です。
残暑の中でも冷んやり涼しい社森を本殿の後ろに擁する神社。一部未舗装の駐車場あり。参道の太い杉の木が荘厳。
五穀豊穣を祈願し13本の弓矢を射る神事で有名。10月20日に行われる。1000年以上の歴史がある。
初めて参拝させていただきました。杜に囲まれた荘厳な社殿やご神木がとても立派でした。創立は康和4年(1102)、現在の社殿は文政9年(1826)、拝殿は翌10年の造営だそうです。由緒ある素晴らしい神社です。
車の御祈祷をお願いしました。祈祷後はお札、御神酒、ステッカー、お守りが頂けます。
境内が静かで暖かい。心が疲れている方や癒しを求める方は是非、境内のベンチに座って深呼吸して欲しい、そんな癒される雰囲気がします。御祭神は玉依姫尊を主祭神とし、鵜葺草葺不合尊を配祀しています。創建は景行天皇53年(西暦123年)、景行天皇が東国巡幸の折に、春臣命に命じて一社を造営、玉依姫尊を祀って東海の鎮護としたことが始まりであるといいます。駐車場は神社の隣の細い道路を挟んだ所にあります。
東大社とうだいしゃ千葉県香取郡東庄町宮本406祭神玉依姫尊東大神(とうだいじん)とも称する銚子付近で地震と津波があり海中より霊玉を得てこれを祭神としたという千葉外房には海より霊玉を得たとの伝承がたくさんありますなお社名は千葉氏の一族である東氏が祭祀を管掌した為のものであると思われます祭礼での弥勒三番叟が有名です2020/9/9 参詣。
平日お参りしました。手水舎の水が出ていたのでよく手入れされていると思う。
| 名前 |
東大社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0478-86-4405 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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東大社略記(御神名と皇子の御名は古事記と日本書紀の表示を混用しました)・御鎮座地東大社の御鎮座なさっている此の所は、千葉県香取郡東庄町宮本字八尾山四〇六番地である。・御祭神主神に玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)、相殿に鵜草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)を祀る。玉依姫命は海神の御娘と生まれ、鵜草葺不合尊の后になられ、人皇第一代神武天皇外三柱の皇子を挙げられた。・社名創建当時は東宮、八尾社と称したが、康和四年に朝廷から総社玉子大明神の号を賜り、爾来、 王子大明神と共に永年併せ用いられた。世上で親しみ呼ばれるオオジン様はこの王子大明神のなまったものと言われる。現在は東大神、東大社と共に正式に用いている。・創立人皇第十二代景行天皇の皇子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は武勇に優れ、九州の豪族、熊襲式 (クマソタケル、出雲の豪族、出雲武(イズモタケル)等当時まだ大和朝廷に従わぬ豪族を従え、次いで東国地方を平らげ、大和へ凱旋の直前に伊勢の国で禁じられた。天皇は追慕の御心抑え難く、 皇子の歴戦のあとを親しくご視察なさるため、この東国へ行幸なさり、その途上、当社の裏の白幡の地に船でお着きになったと言われる。そこで七日間お留まりの際に、東海の鎮護として一社を営まれたのが、当社の創めと伝えられる。千八百数十年前の事である。・氏子古くは東之莊三十三郎と言われたが、現在も一市三町に亘り、四十九区に及ぶ。・例祭毎年四月八日に例祭が取り行なわれる。今から約九百年前の人皇第七十三代堀河天皇康和四年西曆一一〇二年 海上都高見浦(現在の銃子市外川町あたりの海)の海上が荒れに荒れ、幾十日経っても治まらず、里人は困り果てた。その為に当時、海上郡の総社であった当社に朝廷から高見浦へ出向き海神の怒りをやめる様に、との宣旨が下され、早速御神幸になり臨時の祭典を行なった所、直ち浪風鎮まり海上は大漁、陸上は大豊作になったと伝え、その日が四月八日であった所から後に祭の日と定められた。その後、八回は毎年同じ日に御神幸されていたが、 十国目からは二十年に銚子迄の大神幸、その間、二年毎に利根川河畔の桜井の里へ小規模の神幸を行なう制に改められ、現在に至っている。この銚子大神幸には氏子の中の幾つかの区が様々の芸能を奉仕しながら供奉し、大変な賑わいになる。銚子では大神幸祭を何回拝んだかを長生きの尺度として、オオジン様のオオミユキと呼んで心待ちにしている。・秋祭十月十九日と二十日は秋の祭典が行なわれる。元は十九日に若者角力も奉納されたが、現在は大神事に供する事を中心とした芸能が奉納される。二十日には康和年間から伝えられる流馬祭が行なわれるが、古い時代から極く神事化され、現在は氏子から奉納された十三本の的を庭上から村る。この時使う矢は篠竹を削って作った物で、授子、安産を始め万事に縁起が良いと信仰され、人々は競って拾い合う。・境内約一町五反の境内は杉、絵、屋、たぶ等で覆われ神域の柱を形成している。この立札の後と、 三十米ほど左の大杉は殊に大木で、目の高さの幹回りが夫々五米半、六米で何れも千年以上の崇弟と言われ、神木として大切にされている。・社殿今の社殿は本殿が文致九年(西曆一八二六年)、拝殿が型一〇年に造営され、昭和三十一年に元の京の形をそのまま桜して屋根の形を作り、銅板葺に改造した。・神庭神社の裏の雲井ず「クモイガサキ」は、古くから神として造園され、つつじと桜の名所として広く知られ、沼の耕地の彼方に利根川、鹿島工業地帯、又太平洋を望むことが出来る。【現地案内板より抜粋】以前からずっと訪れたいと思っていたお社の一つ。無料駐車場あります。