戦争の記憶、飛行隊遺構を訪ねて。
「大井海軍航空隊之跡」記念碑(大井海軍航空隊跡隊門)の特徴
戦時中の偵察員養成飛行隊の重要な遺構が残る場所です。
かつて海軍の飛行場だった歴史を感じながら訪れることができます。
牧之原コミュニティセンターと併せて訪れるとより楽しめます。
この地にかつて海軍の飛行場があったと言う話を近所のおじいさんに教えてもらい、探して行ってみた。地図に印はあるが、特に駐車場があるわけでもないので、近くのコミュニティセンターに車を停めて散策。航空隊があったのは3年ちょっとの短い間だったらしい。ここの他にも退避壕跡や、飛行機のエンジン、時鐘、陸橋の残骸、煉瓦塀の残骸などが残っていて点在しているので、探して歩くのもいいと思う。そのへんをもっとアピールしてもいい気がするが、地元の方々にとっては思い出したくない過去なのかも… でも忘れてはいけない歴史dと思う。
牧之原コミュニティセンターとセットでどうぞ。近くに退避壕跡と少し離れたところに大井航空隊洞窟もあります。
明治以降、フリーターとなった武士たちの就職受け皿として発展した牧之原台地の茶畑ですが、大平洋戦争間近になり海軍航空編隊の増強の必要が高まったことから、比較的平坦だったここら一帯を収用、航空隊基地としました。航空隊自体は1942年に開設、終戦までわずか3年間でしたが、約3,000人がここで勤務していました。正門の他にここあたり一帯は、防空壕や朝礼台、電探講堂(ヤザキの私有地のため近寄れませんが)などの遺構が未だ点在しています。また、このあたりの道路がやたらと直線基調なのは、滑走路をそのまま転用したためのようです。しかし、航空基地の解体から60年後に静岡富士山空港が開港、再び航空機がこのあたりを飛び交うなんて、何の因果でしょうね。
道の脇にあり駐車スペースがないので、近くにあるコミュニティセンターの駐車場に停めて歩いていくと良いでしょう。
あまり目立たないですが、ひっそりとあります。探してはいかがですか?
戦時中に開設された偵察員養成の飛行隊、その数少ない遺構の一つです。基地開設によって土地を奪われた農家がいたり、ここに集いし飛行兵の人達も特攻隊という非情な運命に立たされました。(永末千里さん著 白菊特攻隊)牧之原の歴史上、語り続けなければいけない事だと思います。オヰ―101
名前 |
「大井海軍航空隊之跡」記念碑(大井海軍航空隊跡隊門) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0548-27-3709 |
住所 |
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HP |
https://msckc.jp/kankou/contents/miru_shiru/history/hist07_ooikoukuutai.html |
評価 |
3.8 |
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主人の叔父が、戦争中こちらに配属された話を聞き、叔父が存命のうちに訪れたいと思ってました。現在は門が移築されてます。また近くの施設で資料が少し残ってるだけですが、そちらの施設の方が詳しくお話を聞かせてくれました。特攻隊前の訓練所だったそうで、戦争の怖さを改めて実感しました。