春日城で感じる桜の絶景。
春日城跡の特徴
春日城跡では、深ーい堀切が美しく整備されています。
戦国期の地方城郭がそのまま残り、歴史を感じられる場所です。
桜の季節には花吹雪や絶景が楽しめる人気のお花見スポットです。
子供たちの声が遠くから聞こえてきます。春は桜が綺麗だろうなぁ。
桜の季節は土日祝日は駐車場非常に混みます。高遠城とセットで鑑賞してくださいな。
春日城は現在春日公園として整備されている。春日城は天竜川左岸の伊那市街を見下ろす台の先端部に築かれていた。春日城は主郭、二郭、三郭があり現在主郭と二郭が整備されている。春日城の一番の見どころは各郭間の空堀である。幅、深さともにかなりの規模で見事である。各郭間には橋が通されている。またここからの南アルプス、伊那市街の眺望はなかなか良い。春日城は国人の伊部氏(春日氏)によって築かれた。武田信玄の侵攻にも抵抗したという。最終的に織田信長により春日城は落城に追い込まれ、春日氏も滅亡した。
公園になっていますが、本丸などの堀の跡などは確認できます。伊那市内を眺められる場所があり、アルプスが綺麗でした。
きれいに整備された公園だけど、深ーい堀切がある。散策しやすくておすすめの城跡。
2018/12/1かなりぼんやりしているものの、一つ一つの曲輪は大きく、曲輪の間には大きな堀切が遺っている。主郭と次の曲輪にはうっすらと土塁もあり、先端の主郭は堀により周囲から完全に独立している。なかなか見ごたえのある城跡だが、桜の方が有名なようだ。
地元の方に教えて頂き、桜を見に行きました。満開の桜は、圧巻でした。動画を撮りましたので、宜しければご参考になさってください。YouTube KIT KITチャンネル【圧巻!息をのむ美しさ!眼下に広がる満開の桜】『春日城址公園』(長野県伊那市)~Amezing view, cherry blossoms in full bloom,Nagano, Japan
春日城(760m/40m)遺構:土塁,郭,堀城主:伊那部氏,春日氏歴史:天文3年(1534年)頃に伊那部大和守重慶によって築かれたと云われる。 重慶は平家の末流で粟田口民部重吉の十六代の孫で、三百貫を領して十騎の将であったという。重慶の後は伊那部但馬守重成が継ぎ、更に子の伊那部左衛門尉重親が継いだ。この重親の弟重国は殿島城主で、弘治2年(1556年)武田信玄が伊那に侵攻した際に最後まで抵抗し、狐島で磔にされた上伊那八人衆の一人という。天正10年(1582年)織田氏の信濃侵攻により落城。重親の子とも考えられる春日河内守昌吉は高遠城に籠もり、城主仁科盛信とともに討ち死にした。説明:春日城は天竜川西岸の段丘に上に築かれており、現在は春日公園として整備されている。春日城は台地の南東端に主郭があり、北から西にかけて空堀を巡らせ、その外側に二の丸を配している。二の丸の西には更に空堀を設けて三の丸がある。春日城跡平山城(760m/40m)遺構:土塁,郭,堀城主:伊那部氏・春日氏歴史:天文3年(1534年)頃に伊那部大和守重慶によって築かれたと云われる。 重慶は平家の末流で粟田口民部重吉の十六代の孫で、三百貫を領して十騎の将であったという。重慶の後は伊那部但馬守重成が継ぎ、更に子の伊那部左衛門尉重親が継いだ。この重親の弟重国は殿島城主で、弘治2年(1556年)武田信玄が伊那に侵攻した際に最後まで抵抗し、狐島で磔にされた上伊那八人衆の一人という。天正10年(1582年)織田氏の信濃侵攻により落城。重親の子とも考えられる春日河内守昌吉は高遠城に籠もり、城主仁科盛信とともに討ち死にした。説明:春日城は天竜川西岸の段丘に上に築かれており、現在は春日公園として整備されている。春日城は台地の南東端に主郭があり、北から西にかけて空堀を巡らせ、その外側に二の丸を配している。二の丸の西には更に空堀を設けて三の丸がある。
広く、春だと桜咲くので混みますね。私は冬の時期なので人が全くいませんでした。
| 名前 |
春日城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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城めぐりで訪問。現在は春日公園として非常に整備され綺麗な公園になっています。無料駐車場も公園脇にありました。城郭や堀跡も残っており、歴史を感じる公園になっていました。高台にあるので周囲の眺めも凄く良いです。子供の遊戯施設やアスレチックもあり、市民の憩いの場所となっているようですね。春日城の御城印は「伊那市高遠町観光案内所」で販売されています。