歴史を感じる一里塚、東海道の心。
旧東海道 佐夜鹿(小夜の中山)の一里塚の特徴
江戸から54里目の一里塚は歴史の深い場所です。
道がわかりにくいが、訪れる価値は十分にあります。
旧東海道沿いの貴重な史跡として楽しめます。
小夜鹿一里塚跡のようです。
佐夜鹿(小夜の中山)一里塚所在地 掛川市佐夜鹿(旧東海道)訪問日 2023/2/26徳川家康は慶長6年(1601年)、江戸と京都を結ぶ東海道に宿駅を設置しました。その後、街道の並木の整備とともに一里塚が作られました。一里塚とは、江戸日本橋を基点にして一里(36町)ごとの里程を示す塚で、街道の両側に五間(約9m)四方の塚を築いて、その上に榎(エノキ)や松が植えられました。此処、小夜の中山の一里塚は慶長9年(1604年)に作られました。日本橋から、この一里塚までの里数を示す設置当初の記録はありませんが、周辺の一里塚の言い伝えによる里数や当初の東海道のルートを考えて、五十六里目と云う説があります。また、元禄3年(1690年)の「東海道分間絵図」では、日本橋から日坂宿まで五十二里三十町ですので、この一里塚は五十二里に相当します。天保14年(1843年)の「東海道宿村大概帳」では、日坂宿まで五十四里二十六町ですので、この一里塚は五十四里に相当すると思われます。東海道のルートは時代とともに若干の変更もありましたが、一里塚の位置が移動したという記録はありません。何れにせよ、一里塚は東海道を行き来する旅人達にとって、おおよその道程の目安になっていたと思われます。
塚はありません。
ここには歴史を学ぶそれがあり、あります。あと近くに良心的な価格の自販機があります。
道が、わかりにくい?
江戸から54里目の一里塚。
| 名前 |
旧東海道 佐夜鹿(小夜の中山)の一里塚 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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東海道の難所、小夜の中山の佐夜鹿にあった一里塚跡。一里塚付近からは浜松を望める。