100体の表情豊かな観音様。
百観音の特徴
山肌の木立の間に立ち並ぶ100柱以上の地蔵が圧巻です。
表情豊かな観音様が見応えたっぷりで、訪れる価値があります。
掛川市倉真で感じる心の安らぎ、手を合わせたくなる聖地です。
すぐ近くに第二東名が走っていますが、落ち着いた雰囲気のある所です。たくさんの観音像は、比較的新しい物が多いように思いました。令和6年5月11日。
古い散策道は、階段が多く途中で杉のはなどが散乱していました。ただし、川や植物は見応えがあります!倉見温泉周辺では、山道より訪れやすいです。
山肌の木々の間に100柱の地蔵… 絶対100以上あると思います。線香をあげて鐘を鳴らしましょう。
掛川市倉真の百観音 無料立木が少し大きくなりすぎた感が少しあります?新東名の掛川ぷらっとパーク下り線近くにあり、一体一体容姿が違う多くの観音様、また歩道もよく手入れもされております。一見の価値あり。
沢山の観音様があり見応えがありました。パワースポットらしいです。
手を合わせました。信じることで救われますね。
表情豊かな観音様いっぱいいるよ。
| 名前 |
百観音 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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百観音(ひゃくかんのん)指定 掛川100景[No.16]所在地 掛川市倉真訪問日 2025/0/21倉真温泉の北、新東名高速道路掛川パーキングエリアから程近い場所に100体を超える観音様が祀られる場所があります。明治27年(1894年)に勃発した日清戦争で、戦地に出征する村の若者の安否を願い建立された観音菩薩像が始まりとされます。日清戦争後、戦地に出征した倉真村の全員が無事帰還したことで、「倉真の観音様には、ご利益がある」と評判が広がりました。明治37年(1904年)に日露戦争が始まると、各地から出征前にお参りする人が多く訪れ、戦地から無事帰還した人々が感謝の気持ちを込めて新しい石仏を寄進したことにより、観音像の数が増え、いつしか「百観音」と呼ばれる様になったそうです。この頃は、多くの参拝者で参道も賑わったといいます。しかし、昭和20年(1945年)の太平洋戦争で日本が敗れ、倉真村からも多くの戦死者を出すと、この場所を訪れる人は少なくなり、いつしか百観音も土に埋もれて、その存在すら忘れ去られて行きました。百観音が甦ったのは、昭和56年(1981年)の事。土砂に埋もれ風化した観音像が何体も発見され、荒れ果てた百観音を元に戻し供養したいと有志が集まります。地域でも「お観音祭り」も行われ、テレビでも取り上げられたことで、再び百観音が注目されるようになります。現在では、日本全国や台湾からも観音像が奉納され、180体以上の観音像が祀られます。