金輪山善福寺で心安らぐひととき。
善福寺の特徴
縁起の良さそうな名前の善福寺で、驚きの訪問体験をしました。
文殊山城址を経てお参りし、心温まるひとときを過ごした。
入り口にある獣よけの柵が印象的で、安全性が感じられました。
見てびっくり!!(⊃ Д)⊃≡゚ ゚する程の建造物の古さでした。参拝しようと階段を上がって行くと、金網の扉が閉められていました。「お参りできんね…」と話していたら、何処からともなく「どうぞ、扉を開けてお入りください。最後は元通りに閉めておいてくださいね。」と弱々しい声が…😓ともあれ、折角なので本堂へ。山道の石段でしたが、本当に綺麗に掃除をされていて、建物の古さを想像して上がったので、驚きました。大切に守られていらっしゃるのだなぁと、お寺の方々に 自然と感謝の気持ちが湧きました(^人^)扉を元通りにして御朱印を頂きに、先程声のした、山門左手にある屋家を訪ねました😀先程の声の主らしきお母様が対応してくださり、丁度、ご住職(50代?)がいらしたので、直書きの御朱印(300円)を拝受出来ました。暫くお話をさせてもらい、楽しい時間を過ごせましたが、やはり、あの石段はご住職が毎朝掃除をされているそうです。ありがとうございますm(_ _)m思った以上に、癒されました💓いろいろ とありがとうございました🙇🙇🙇🙇🙇
縁起の良さそうな名前のお寺だったので、立ち寄りました。この日は大雨の後だったので雪が積もってイイ感じの雰囲気でした。
娘2人と3人でいってきました。管理されてる方に、山で自生してる花の苗をいただき庭に植えました(*^^)v銀杏もいただきました。少し遠くに大きな銀杏の木、お寺さんは鎌倉時代の建物だそうです。そこには、紅葉でとってもキレイでした。また行きたいです!いい時間をいただきました。ありがとうございます。
文殊山城址からお参りさせて貰いました。道中、お地蔵さまが沢山あります。
入り口には獣よけの柵があります。お寺を抜けると石仏がたくさん鎮座しており、さらに進むと文珠山城跡にたどり着きます。
真言宗御室派(本山 仁和寺)のお寺です。とても歴史を感じられるお寺で、お勧めです。入口が分かりにくいですが、白い公民館の横の細い道を上っていくと左手に草の生えた空地(お寺の駐車場)が有ります。少し急な階段を登ると山門が、更に静かな本堂の中の坊が有ります。
仁王尊、阿吽両像、木造寄木造り。鎌倉時代運慶作と伝えられる。真言宗御室派、真斉僧正が仏像の手を修理したので、「作手」の名が村に付いた。
名前 |
善福寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0536-37-2246 |
住所 |
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評価 |
4.6 |
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看板より「金輪山善福寺の由来本尊 十一面観世音菩薩宗派 真言宗御室派(京都市総本山仁和寺末)当山は推古天皇御代「田源山善福寺」の勅号を 賜った、中興開基は、真言宗二世真済僧正、天長 元年伽藍を建て、山号を「金輪山」と改める 当時は七坊(大坊・岩本坊・池ノ坊・松本坊・中 ノ坊・下ノ坊・杉本坊)あり、それぞれの名は現 在も字名として残っている。真済僧正が仏像の手を修理されたところから「作手」の名が村につい たとも伝えられる。村上天皇御代、天徳二年勅願所となり、以後二百有余年全盛を極めるが、久安三年伽藍、宝物の大半を野火により消失する。後、開山は建久六年東 大寺再興に尽力のあった俊乗坊重源上人が伽藍を造営するが、天正元年八月勝頼の兵火にてまたも消失する。乱後、領主奥平美作守貞能が現在の観音堂を建立し、徳川家の帰依もあり仁王門・鐘楼堂と共に現在の伽藍となる。奥の院・文殊堂の参道は八十八ヶ所の石仏が明治期に奉納された。巴川その水上は浅くとも寿ゑは大悲の福衆海なり」立派な仁王門、仁王像、鐘楼、本堂。作手の名前の由来となるなど、歴史のあるお寺だなと思いました。