源平の物語が息づく法住寺陵。
後白河天皇 法住寺陵の特徴
京都三十三間堂近くに位置し、後白河天皇法住寺陵があります。
平安後期の歴史を感じられる、静かな穴場スポットです。
立派な塀に囲まれ、白砂の美しさが際立つ御陵です。
いつも閉まっている時にしか通らなかったので開いていて嬉しい。
平安後期、平家物語でおなじみの後白河天皇陵です入口に門があって鍵がかかっており御陵まで行けませんでした平日じゃないと入れないようです。
京都三十三間堂近く法住寺の門の隣りに参道が有ります。外国人観光客も増えてまいりましたが此方には来られないようで清浄で厳かな空間が保たれておりました。
第77代法住寺陵一番来たかった御陵です。
法住寺の境内の中にあるが、 宮内庁が管理している。 柵の前まではいつでも自由に入れる。 大きな木の紅葉が赤い輝きを放っていた。
三十三間堂廻り町に有ります。永延2年(988)当時の右大臣藤原為光が妻と娘の菩提を弔って建立。本尊に不動明王を祀る天台宗のお寺です。その後、後白河法皇の時代となり、政務を行う法住寺殿へ…大きな寺であった事が解ります。寿永2年(1183)木曽義仲がここを襲撃、放火をしたが運良く逃れた後白河法皇は身代りにとなった不動明王に深く感謝をしたと言う。先ずは線香を焚いてそしてお参りをします。阿弥陀堂には蕎麦を食べて窮地を救った親鸞像、元禄年間(1688~1704)大石内蔵助が参拝、四十七士の像も安置されているそうです。境内には百度石に立派な垂れ桜、隣には後白河天皇法住寺陵もある。三十三間堂は法住寺の境内の1つ、新日吉神宮はここを守る鎮守社だったと記録。この辺り、平家の繁栄時代を思い起こしながら見ると良い✌️
後白河法皇のお墓です。ここから先へは扉が閉まっていて入れません。
白砂が美しかったです。
静かでいいです。
名前 |
後白河天皇 法住寺陵 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-541-2331 |
住所 |
〒605-0941 京都府京都市東山区東山区本瓦町670−9 |
HP | |
評価 |
4.1 |
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法住寺の境内にあり、陵名も後白河天皇法住寺陵(ごしらかわてんのうほうじゅうじのみささぎ)となっています。入口の通路は狭いですが、進むとちゃんと御陵があります。御陵の形状は方形堂で、盛土や墓石などでなく建物です。天皇陵では割と珍しい形です。お隣には皇族7人のお墓もあるようです。後白河天皇といえば歴史の教科書に出てくるのは当たり前、といった天皇です。有名なだけあって、御陵も立派なものです。1127年に生まれ1192年に66歳で崩御しました。保元の乱の後、即位して3年で息子の二条天皇に譲位しました。それから上皇として院政を行ったものの、平治の乱が終わった後は二条天皇に政治の実権を握られ、そのまま二条天皇が崩御、その息子の六条天皇も崩御すると、平氏の血を引く息子の高倉天皇を即位させ、平清盛と組んで実権を再び握るようになりました。しかし、だんだんと権勢を高める平氏と対立するようになり、ついには平清盛のクーデターにより幽閉。幽閉中も、安徳天皇の祖父として院政を行いました。平氏が滅んだ後、孫の後鳥羽天皇を擁立も今度は源義仲と対立しまたしても幽閉。最終的には源頼朝に実権が渡り、公家は衰退していく事になりました。