田んぼにポツンと小川月神社。
小川月神社の特徴
農地の中に佇む静謐な雰囲気の神社です。
凛々しい狛犬が祭られた神社の祠があります。
知名度は低いが、祭神月読命に特別な由来があります。
行ったのは数ヶ月前ですが、田んぼに囲まれた小さな神社だけど、水路が整えられていて水が流れていて周辺の空気はとてもよかったです。カラスが飼われている?鳥舎のようなものがあるのが気になりました。
千代川駅から出雲大神宮まで歩こうと思い周辺に寄り道出来るスポットがないかマップで探していたところ、月読橋球技場なるグラウンドを発見。これは近くに月読神社があるに違いないと思い調べて発見しました。看板によるとかつては大きな神社だったようで、水害等の影響で現在の規模に落ち着いたとの事。現在では小さな神社ですが、周囲に地名が残っていたおかげで、余所者の僕が見つけてお参りできたというのは何だか不思議なものです。
月読神を祀る田畑の真ん中にポツンとある神社、烏が2羽飼われているのか?
ほんまかいなと思うかもしれんけど式内社。亀岡の事はよく知ってるけど田んぼの中にポツンとあるここの神社は知らなかった。応仁の乱あたりで戦や洪水で大部分が持っていかれたらしい。その後再建しなかったんやろか?数年前でさえ川が氾濫して当時住んでたとこの周辺が水浸しになってえらいことなってたから大昔は台風の度に氾濫して大変やったかもしれないね。霧が無かったら見晴らし良さそうやけど敷地内に害獣用の柵があってカラスが6羽ぐらいいるけど並んでこっち見てるから奇妙や。
旧丹波国の式内社です田んぼにポツンとあるので、遠くからでも分かりやすいですある意味境内は広いですが、神社は小さいです。
農地の中の神社という立地が、少し異次元な雰囲気を出していました。
無人です。丹波二宮。
祠の中に凛々しい狛犬さんが。でも網がはってあり見えにくいです。
小川月神社おがわつきじんじゃ京都府亀岡市馬路町月読16祭神月読命つくよみのみことイザナギが黄泉から帰って禊した際右目を洗った際に生まれたという左目からは天照大神鼻から生まれたのは須佐之男命月読命はゾロアストルのいうデウス・オティオースス(暇な神)であり記紀の記載も少なく活躍の乏しい神です社格は式内社(名神大)ですが田んぼの中の小祠であり意外であった又近くの烏取りの網カゴがあり中でもがいており哀れであった。
| 名前 |
小川月神社 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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小川月神社(おがわつきじんじ)。京都府亀岡市馬路町月読。式内社(名神大)、旧村社。小川月読社とも。主祭神:月読命(つくよみのみこと)。大堰川(おおいがわ、桂川)沿いには他にも松尾大社系の神社があるので、下流の葛野坐月読神社(松尾大社摂社)との関係が指摘される。資料によると、社名は郷名「小川郷」を冠する神社名となったと見られている。当社は大堰川の左岸(東側)に鎮座しているが、大堰川を挟んだ西方、千代川町に小川という字名があり、『和名抄』に見える「桑田郡小川郷」の遺称地であるとされている。そのため、かつての大堰川は当社の東を流れ、当社一帯も小川郷に含まれていたと考えられている。当社の東方を流れる古川が大堰川の流路変更の名残とされている。明治以前には「月読(神)社」を称し、現在でも「つきよみさん」と呼ばれて親しまれている。上述松尾大社との関係から、大堰川を遡る形で秦氏による開発が進み、それにともなって創祀されたと考えられている。氏子総代保管の「丹波国桑田郡小川月神社之事」という年不明の文書には、伊勢両宮が丹後国与謝郡に遷座した時の末社であるとも、丹波国に鎮座していた時の末社であるともし、「神代よりの旧地なり」と記している。また、出雲神社(現亀岡市千歳町の出雲大神宮)の鎮座よりも古く、同神社と同等の神社で桑田郡の「第二之大社也」とも記す。『神社明細帳』によれば、応仁年間(1467-69年)に大堰川の洪水によって社地を流失し、以後小祠として祀られるようになったとある他、前掲文書にも応永年間(1394-1428年)の洪水を記し、或いは兵乱によって廃弊して以後「境内狭小にして祭祀等無之」とも記す。これらより、大堰川の流路変更などで被災、退転したと考えられている。大堰川対岸の千代川町小川にも同じく月読命を祀る月読神社が存在するが、これは大堰川の流路変更によって当神社と隔てられた人々が新しく氏神として当神社から勧請したものであると見られている。なお、亀岡市馬路町と同市千代川町を結ぶ大堰川の橋を、両岸に月読命を祀る神社があることから、地方政治家である堤太三吉により「月読橋」と名付けられた。とあります。