冑山神社の古松と歴史。
冑山神社の特徴
甲山古墳の上にある神社で歴史を感じることができます。
冑山神社の境内には神木の古松がただずみ荘厳な雰囲気があります。
御祭神には兄多毛比命や素戔嗚尊が祀られ、由緒ある神社です。
冑山神社(かぶとやまじんじゃ)御祭神 兄多毛比命 譽田別命 大山咋命 素戔嗚尊境内社 日吉神社 鎮火神社由緒甲山村 八幡社 長福寺持 これ甲山の頂にあり 社の後に神木とて圍み一丈五尺許の古松あり山王社 村の鎮守 別當長福寺 新義眞言宗 相上村華蔵院末 本尊彌陀天王社 長福寺持(「新編武蔵風土記稿」参照)冑山の地名は、地内西部にある同名の小山に由来しています。この小山は、形が冑に似ていることから冑山と名付けられたといわれ、武蔵国造兄多毛比命の墳墓であると伝えられています。一説には、天正年間(1573~1592)に、織田家武将滝川一益と鉢形城の北条氏が戦った際の兵具を埋め、その上に塚を築いたのがこの冑山であるともいわれますが、これは俗説で、既に「風土記稿」にも「塚のさま天正の頃のものとは見えず(中略)上古の墳墓なること疑なし」と指摘されています。社記によれば、冑山は慶長十三年(1608)の春に、村人の手で発掘され、剣・鏡・五軀玉・土偶・土馬などが出土しましたが、その後間もなく村に病がはやったので、塚をまた元のように埋め戻し、祟りを鎮めるためにその頂に八幡神を祀ったといわれています。それが当神社の創建です。一方冑山村には、文水年間(1264~1275)に、長福寺の開基に当たりその鬼門鎮護のために勧請された日吉神社が、村の鎮守として祀られていましたが、明治四十二年(1909)に至って、冑山神社(明治初年に改称したもの)を日吉神社に合併し、新たに日吉神社を冑山神社と称するようになりました。但し、この合併は書類上のものに過ぎず、その後八幡社本殿の前の斜面が氏子の力によって開かれ、そこに日吉神社の拝殿が移築されて現在の冑山神社の姿が整いました。社記によれば、大正六年(1917)三月九日のことです。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」参照)埼玉県指定文化財(史跡)「冑山古墳」冑山地内にある甲山古墳は、全長90m、高さ11.25m、2段築成の大型の円墳と考えられています。築造の年代は六世紀後半と考えられ、墳丘の規模は、埼玉古墳群の丸墓山古墳に次ぐ県内第二位となるもので、全国の円墳の中でも四番目の規模をもちます。古墳の中腹に冑山神社拝殿があり、その後方の墳頂には八幡神社の本殿があります。この甲山古墳とともに、北へ約1km離れての大字箕輪にも、とうかん山古墳と呼ばれる全長74mの前方後円墳があり、当時この地域にはこれらの巨大な古墳を造れる、大きな勢力が存在していたと考えられています。(「現地案内板」及び「熊谷市HP」参照)熊谷市指定有形文化財(建造物)「冑山神社本殿」石段を上がりつめた最奥、木々に囲まれた八幡社の胴羽目には七福神・七聖人など、欄間、軒下柱には人物・竜・花鳥など、聖天堂の彫刻と見まがうような彫刻が一杯埋め込んであります。初め彩色だったと思われますが、風雪に曝されて殆ど剥がれ落ちてしまっています。二十年以前、地元有志が痛んだ社殿を急修理し、覆い屋を建てて保存を図っています。(「熊谷市公連だより」平成24年第13号参照)
最初、この漢字(冑)が読めませんでした。古墳の築造は6世紀初め頃です。
ここの地名の由来の冑のような山(古墳)があるので冑山となったようです。甲山古墳の頂上には冑山神社の本殿の彫刻がすばらしいです。
| 名前 |
冑山神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
甲山古墳の上に建立された神社です。古墳としての規模が大きく、一番高いところに本殿があります。