スポンサードリンク
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
| 名前 |
宿世結神祠 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
宿世結神(しゅくせむすびのかみ)祠奈良朝末期~平安朝初期の、林郷里長《六郎》の娘《有後(うらこ)姫》を祀った「良縁結びの神社」跡と伝わる。有明山下の魏石鬼退治のため当地を訪れた坂上田村麿将軍の副官《藤原緒継》が有後姫を見初め、結ばれたとの故事に由来している。現在はこのような小祠であるが、「往時はそれなりの規模の神社が建立されており、良縁を求める人々の信仰が厚かった」と信府統記は伝える。ここから南東20㍍の地点に、旧諏訪藩主「神田村」が建立した同様の石の祠が祀られている。(平成26年10月 林古城会/山辺歴史研究会/松本市地域文化財連絡協議会の説明板より)藤原緒継は、雨宮藤原諸継(おつぐ)で征夷大将軍坂上田村麻呂の後を受けて陸奥按察使となった人との説もあるらしい。林郷里長《六郎》は林六郎公ともいい、延暦年間(782~806)に雨宮藤原諸継と共に蓬莱山鶴ヶ峰に千鹿頭神(ちかとうのかみ。諏訪の守矢神の御子)を勧請したとされる。