古木と恵方の癒し空間。
大栄神社の特徴
大栄神社は多くの神々を合祀する歴史ある神社です。
設立は大正二年で、由緒深い場所に位置しています。
古木があり癒しの空間を提供する神社です。
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今年の恵方です 有難いです。
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古木があり、癒し和みます。手入れが少ない。🦉
| 名前 |
大栄神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
048-532-3874 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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大栄神社(たいえいじんじゃ)主祭神 倉稲魂命合祀神 大己貴命 太田命 大宮姫命 大市比賣命 火産霊命 奥津比古命 奥津姫命 句句廼馳命 軻遇突智命 埴山姫命 金山比古命 水速女命合祀社合殿(八荒神社・五社稲荷神社・天神社・駒形神社・浅間神社・産泰神社)由緒大麻生村 稲荷社 上郷の鎮守なり 村持八荒神社 中郷の鎮守とす 持同じ(「新編武蔵風土記稿」参照)当神社は大正二年(1913)五社稲荷神社に、八荒神社・駒形神社・西河原浅間神社・西河原天神社・武体天神社の五社を合祀し、大栄神社と改称しました。合祀の中心となった五社稲荷神社は元来、大麻生村上郷の鎮守で、明和三年(1766)に伏見稲荷より神璽を受けています。「五社」とは、「明細帳」によると倉稲魂命・大己貴命・太田命・大宮姫命・大市比賣命です。合祀社のうち八荒神社は、嘗ての大麻生村中郷の鎮守で、寛政六年(1794)の棟札が現存しています。この社には神楽殿が附属し、屋台も備わっていたといわれ、規模の大きな社であったことを窺わせます。また、天神社二社は、一社が当時の大麻生村全体の鎮守で、文政三年(1820)に「当所子供中」により奉納された幟が残されています。もう一社の天神社は字西川原に鎮座していた小祠です。駒形神社は、「胴木様」の通称で中郷の人々により祀られていた社で、日本武尊が境内の欅の大木に駒をつないだとの話が伝えられていました。浅間神社は、字西川原の浅間塚と呼ばれる盛り土に祀られていた社でした。これらの内、五社稲荷神社と八荒神社の別当は、真言宗稲荷山宝蔵寺で、社人を当山派修験泉学院(現斎藤家)が務めた模様です。合祀に際して、八荒神社の本殿・神楽殿・屋台・天神社の拝殿、浅間神社の盛り土及び覆屋が当神社に移されました。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」参照)「熊谷の願い石」大栄神社には願い石があります。当神社は大正二年(1913)に地元の六社を合祀して大栄神社と改称されました。そのため十五祭神と大変多く祀られています。現在の場所には、古来より五社稲荷がありましたが、その起源は不明です。境内には、目通り5m50cmの欅の御神木が聳え、他に三本の大欅もあります。合祀された駒形社には、空洞化した大欅がありました。言い伝えによれば、日本武尊が奥州平定に向かう折、これに駒を繫いだと言われています。この大欅は「大麻生洞木」の名称で、熊谷市指定文化財でしたが、昭和二十九年(1954)の台風により倒れてしまいました。「願い石」は、もみじ石で、寄居町風布で産した銘石です。もみじ石は江戸城を築く折、荒川の水運により、多くのいかだで江戸城へ運ばれました。台石は水車用の石臼で、人間の母体を意味するようです。旧社には産泰神社(うぶすなじんじゃ)もありました。(「境内掲示書」参照)