権現山で見る絶景サクラ!
志筑権現山城跡の特徴
権現山山頂からの美しい景色が楽しめます。
標高99mの自然豊かな環境が魅力的です。
季節ごとのサクラが訪れる人々を魅了します。
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サクラがとてもキレイ。
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| 名前 |
志筑権現山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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標高99m余の権現山山頂にあります。登山口は南麓の千代田試験場の東側になります。道路が直角に曲がってるところに車止めがあり、そこから登れます。車一台なら、車止めの前に停められそうです。斜面に至ると道が真っ直ぐに登っていますが、脇に登りやすいようにジグザグの登山道がありますので、好みの方を使ってください。道は御野立碑の案内を目指せば辿り着きます。御野立碑の地は城外になりますが、物見場として使われていたと思え、見晴らしは良いです。御野立碑から北西に尾根伝いに行くとすぐに左手に二重土塁に挟まれた空堀が現れます。ここからが城内です。郭内は不整形で、いくつかに区分されていたのか、そもそも整地してないのかという程に凸凹で、判然としませんが、それらを取り囲むように横堀がほぼ一周しています。東側の入口のところでもそこそこ大きかった印象ですが、南側は大きく下り、腰郭のようにも見えます。西側は虎口が開かれ、堀外の土塁は大きくなっています。東側の虎口は今の道路ではなく、東南角に堀中に降りる坂虎口があり、ここから堀底を通ってアプローチしたものと思われます。城は志筑城を築いた下河辺政義が築いたとされていますが、時期はわかりません。以後、下河辺氏(益戸氏)の詰め城として利用されたとされています。南北朝時代の興国2年(暦応4年、1341)に志筑の益戸国行が北朝方の高師冬・大掾高幹に攻められた時に籠城した城は、この権現山城であろうとされています。その時落城してからは廃城になったとされていますが、益戸氏は引き続き志筑を支配していますし、遺構は戦国期のものを思わせるもので、かつ、志筑左近なる者が戦国期に利用したとされているので、引き続き利用されていたものと思われます。