美しい大岩と戦国の山城、甲ヶ峯城へ!
山家城跡(甲ヶ峯城跡)の特徴
戦国時代の山城跡で、歴史を感じられます。
甲ヶ峯城の案内板があり、見学がしやすいです。
頂上付近の空堀や土橋が守りの構造を示しています。
山家城(甲ヶ峯城)跡(やまがじょう(こうがみねじょう)あと)は京都府綾部市広瀬町の甲ヶ峯山(標高236m)の頂に築かれた山城です。戦国時代には、和久左衛門佐が居城にしたと伝わっており、現在、この山家城(甲ヶ峯城)跡には、山家城址公園近くの伊也神社から北東方向へ10分ほどで登ることができます。参道や案内板が整備され、土塁や空堀が当時のまま残っており、参道の途中には見渡しの良い場所もございます。明智光秀の丹波攻略の際、光秀軍は福知山を平定すると山家に進撃しました。和久左衛門佐も降伏しましたが、山家城(甲ヶ峯城)を破却するとの条件で許されたようです。しかし、城域内には「照福寺」というお寺があったことから、「城ではない、寺である」と称して城郭を取り払わなかったため、天正8年(1580年)、光秀軍により攻め落とされたと伝わっております。(2023/2/23撮影)
伊也神社から登ることができますが最初はキツイ階段です。参道や案内板が整備されていますし、そんなに距離の無いので30分もあれば本丸に着くと思います。土塁や空堀がわかるレベルですから興味のある方は来てください。でも山頂からの眺めや景色は期待できません^^; 撮影しても判りずらいですが、「空堀」は見応えあると思いました。
戦国時代の山城の跡です。木が多いため見渡しが良くありません。登城道も落ち葉に埋もれて分かりにくいです。途中の竪堀と本丸奥の堀が見事です。
甲ヶ峯城(左衛門屋敷)と案内板に表記されました。伊也神社の鳥居を抜けた先に登り口が有ります。最初のみ階段で大部分は坂道ですがキツクはないです。本丸、二の丸、帯曲輪、虎口と小規模ながら構成されていて、背後の堀切が深く掘られてました。展望は望めません。1580年滅亡とありました。東北に照福寺跡という所があり、防衛を担っていたそうで、虎口、曲輪など見られました。登山の途中にも平坦部がありましたが、何の場所かは分からず。
途中まではシンプルな登り道ですが、頂上付近は空堀に土橋に虎口にと守りが分かりやすい。
| 名前 |
山家城跡(甲ヶ峯城跡) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0773-42-9550 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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本丸まで行く途中に大岩が並んだ所があり、とても景色が綺麗に見れます。手軽に登れる行きやすい登山道です。