荒川流れる矢那瀬の念仏。
簗瀬神社の特徴
荒川沿いの河岸段丘に位置し、自然の美しさが魅力的です。
日本武尊がゆかりの神社で、歴史が深く感じられます。
雲一つない晴天の日には、境内の景色が特に素晴らしいです。
簗瀬神社主祭神 日本武尊 天之狭霧神合祀神 大山祇神 天手長男神由緒日本武尊が東国平定のみぎり、この地を過ぎさせられ御休息遊ばされたので、里人たちは尊を追慕し、弘安元年(1278)宮祠を建てて奉斎したと言い伝えられています。矢那瀬の地は上郷・下郷に分かれ、この社は上郷の鎮守として祀られています。日本武尊で尊の徳を称える里人が、弘安年中(1278~1288)に祀ったと伝えられています。矢那瀬の地は、北の大月山と南の金尾山が荒川岸まで迫り、また複雑な地形が濃霧を発生させる交通の難所であるため、正安年中(1299~1302)に天之狭霧神を併せ祀り、「霧明神」とも「霧の宮」とも称しました。寛保三年(1743)には、他地区で大洪水がありましたが、矢那瀬は平穏無事であったといいます。元禄三年(1690)の棟札には「毘沙門天宮」と記され、社蔵されています。一間社流れ造の本殿は、室町期の風を残すともいわれ、とりわけ拝殿は東西の割拝殿という極めて珍しい形式のもので、群馬県片品鎮座の武尊神社に同形式の拝殿がみられます。群馬県片品鎮座の武尊神社の拝殿は、同族や集落によって東西に分かれ、祭祀を行う宮座によって生じた形式であることから、当社も古くは同様の祭祀組織のあったことが想像されます。なお字北久保の地蔵堂には、室町時代の特徴を示す埼玉県指定有形文化財考古資料の「石幢」があります。(ブログ「はるんの気ままにぶらり」及び「境内案内板」より)本殿覆屋内には、向かって左手には小さな「稲荷神社」、右手には「三社神社」が並んで祀られています。境内地右後方に「天手長男神」石碑があります。拝殿は、この辺りの地域ではとても珍しい、参道が中央を貫く形式「割拝殿」です。以前は村芝居などがこの拝殿を使って行われていて、昔は茅葺の屋根でしたが、昭和三十四年(1959)の伊勢湾台風のとき、境内の大木が倒れて拝殿が壊れてしまったため、今のようなトタン屋根になったとのことです。(サイト「古社巡拝録」より)
今日2021年3月11日は雲ひとつなく天気が晴れ晴れしてました。特質ていえば特に思い当たるものがないそこら辺にある普通のお寺です。建造物や灯籠、鳥居、お寺の雰囲気が日本的でとても魅力的でした。
| 名前 |
簗瀬神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0494-66-0042 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
秩父郡野上郷矢那瀬地区は大きく蛇行して流れる荒川沿いの河岸段丘に位置する集落で、地名は荒川の流れの速さを「矢の瀬」と表現したことに因むともいわれている。かつて荒川に沿って秩父往還道が走り、矢那瀬集落には宿駅が置かれていた。同時にこのあたりは県内屈指の養蚕地帯でもあったという。とあります。簗瀬神社御由来によると、矢那瀬の地は上郷・下郷に分かれ、当社は上郷の鎮守として祀られる。御祭神は日本武尊で尊の徳を称える里の人が弘安年中(1278~1288)に祀ると伝える。矢那瀬の地は北の大月山と南の金尾山が荒川岸まで迫り、また複雑な地形が濃霧を発生させる交通の難所であるため、正安年中(1299~1302)に天之狭霧神を併せ祀り「霧明神」とも「霧の宮」とも称した。元禄3年(1690)の棟札には「毘沙門天宮」と記され、社蔵されている。一間社流れ造の本殿は室町期の風を残すともいわれ、とりわけ拝殿は東西の割拝殿という極めて珍しい形式のもので、群馬県片品鎮座の武尊神社に同形式の拝殿がある。武尊神社の拝殿は同族や集落によって東西に分かれ祭祀を行う宮座によって生じた形式であることから、当社も古くは同様の祭祀組織のあったことが想像される。なお字北久保の地蔵堂には、室町時代の特徴を示す埼玉県指定有形文化財考古資料の「石幢」がある(矢那瀬の石幢)。 案内板より引用とあります。本殿の礎石・束石の周りのみならず、社殿の参道や階段等には緑泥石片岩が綺麗に敷き詰められている。この緑泥石片岩は三波川結晶片岩の薄く剥がれやすい特徴(片理:へんり)を利用してつくられており、樋口駅から北西約1500mのところに石材を採掘した「板石塔婆石材採掘遺跡」がある。ここの石材は「秩父青石」と呼ばれ、関東一帯で石皿や石斧、板碑として古くから使われてきたという。との事です。