松尾山を望む小早川秀秋の地。
松尾山眺望地の特徴
大谷吉継の陣跡近くで、歴史的な視点が楽しめる場所です。
松尾山を見渡せる景観が広がり、戦の雰囲気が体感できます。
簡単に到達できるため、気軽に歴史を感じることができます。
2023年11月初訪問。知る人ぞ知る場所ではありますが、とにもかくにも戦国マニアは絶対に訪れておくべき場所でしょう。だって、150年近く続いた戦国時代に終止符を打った天下分け目の関ヶ原合戦において極めて重要な役割を果たしたあの松尾山が、因縁深い大谷本陣の位置から望めるのです。420年ほど前、あの山からこの山に向かって1万数千の兵がなだれをうって攻めかかってきたのです。これが天下の趨勢を決める大きなきっかけとなりました。その時の景色が今もそのまま見れるのですから必見のスポットと言えましょう。「おのれ金吾!人面獣心なり。3年のうちに必ずや祟りをなさん」大谷さんが本当にそう言ったかどうかは謎ですが、大谷さんがそう言いたくもなる気持ちもよく伝わってくる景色であります。
ここは 大谷吉続軍最初の 陣跡近くで、下の道路付近に兵を待機させて 裏切るかもしれない 小早川秀秋の為に 準備していたとされる。裏切りとなった小早川秀秋軍勢 一万一千を 見えない目で心ではやはり来たかと・・ 待ち構える大谷吉継軍は 二千、それでも 二度 三度と 押し返すが、裏切り為に配置していた脇坂安治・小川祐忠・朽木元綱・赤座直保・迄もが 裏切りには裏切りを呼んでしまう。それまでは この陣で戦況を観て居ただろう。悔しい思い、駆け降りて小早川秀秋と ⚔️で 首を切りたい思いだったと 思います。
ここからだと松尾山がよく見えます。大谷隊は人数は少なかったけど、西軍を裏切った大軍の小早川隊を3度押し返したそうです。関ヶ原は現地にきて初めて理解できたのですが、思ったよりも広くないです。ここで東西合わせて15万の兵力で戦が行われたとはビックリ。歴史上では6時間で合戦は終わったけど、島津が主張していた夜襲が実施されたり、小早川が離反しなかったらとんでもない乱戦になってたかも…場合によっては戦国時代が終わらなかったかも?
視界が開けた先の松尾山の頂上に小早川秀秋陣地が見えます。遠いのでわかりにくいかも?あそこから1万5千の兵が駆け降りて来たと思ったらゾクっとしました。
ここに来てようやく見晴らしの効いた場所に出られました。森のなかを歩いて辿り着く場所なので方向感覚が麻痺しますが、この眺めは南向きで小早川秀秋陣跡のある松尾山が綺麗に観れました。関ヶ原の戦いでは都度に語られる場所なので、もっと壮大かと思ってましたが、案外隣接しておりこの近さで謀叛を知った大谷吉継の決断が想像できます。関ヶ原を歴史探索するには外せない場所です。
大谷吉継がどんな思いで松尾山を眺めていたのかと思うと、気持ちがせつなくなります。
簡単に到着出来る。そのため眺望もある程度だが、手軽。
ここから裏切り者の小早川の陣の旗が見えます!
ここからは松尾山がよく見えます。案内板にしたがって見ると小早川秀秋陣跡に旗印があるのがわかります。ロマンを感じる場所です。
| 名前 |
松尾山眺望地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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小早川秀秋を2024年5月上旬、レンタサイクルでの関ヶ原探訪の際に寄りました。近くの若宮八幡神社より山道を登ると分岐あり、左手は大谷吉継の陣地・墓方面、右手はこちらに。歩いて数分で到着します。設置されている駒札には—————————————————————松尾山眺望地正面一・五キロ先に望む標高二九三米の山が松尾山である。関ケ原合戦において、小早川秀秋が布陣したことで有名である。当時の遺構がほぼそのまま残っており、山頂に軍旗が翻っているのが確認できる。吉継は予てから秀秋の二心を疑っていたので、自ら約二千の兵を率い下方山中村の沿道に出て、専ら秀秋に備えていた。案の定秀秋の兵一万三千が山を下り突撃してきたが、その大軍を麓まで撃退すること三度。遂に総崩れとなり吉継は自刃した。こうして眼下で数倍の敵と互角以上の死闘を展開した大谷吉継の雄姿が偲ばれる。関ケ原町—————————————————————とのこと見晴らしの良い場所でベンチもあるので少しの間休憩しリフレッシュできました。