新町の歴史が息づく、懐かしいひととき。
旧新町紡績所 新町工場の特徴
新町地区の世界遺産登録へ向けた活動が進行中です。
明治10年に開所した歴史ある建造物が残っています。
大久保利通が迎えられた華やかな開所式の舞台です。
新町地区で有志の方一同世界遺産登録に頑張っています昔懐かしい建造物が保存して残っています。
明治10年10月、内務卿の大久保利通をはじめ、大隈重信、伊藤博文らの政府高官を迎え、新町屑糸紡績所は華々しく開所式を挙行しました。翌11年には、明治天皇が行幸され、親しく作業を見学し、働く人々を激励したといいますから、当時の政府の紡績所への期待の大きさと、力の入れようが察せられます。もともと屑糸や屑繭は、廃物として安価な値段で売却されていました。それがスイスの機械を導入すれば、再生して生糸にできることがわかり、その頃輸入超過に悩んでいた日本は、これに飛びつきました。もともと上州は養蚕が盛んな土地なので、屑糸や屑繭には豊富にあり、河川を利用した水運も江戸時代から発達しており、東京へ向かって完成品を輸送するにも好都合でした。富岡製糸場に続いての、官営模範工場の設立に「繭と生糸は日本一」の群馬県は、大いに面目を施したといいます。その後、この紡績所は三越に払い下げられ、さらに鐘ヶ淵紡績に合併され、昭和50年に至るまで操業を続けましたが、生糸の衰退とともに、カネボウ食品として再出発することとなったそうです(^_^ゞ
| 名前 |
旧新町紡績所 新町工場 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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シルクハウス内は当時の社宅、寮の人達が入るお風呂場がありました。(だいぶ前の事なので間違っていたらごめんなさい)