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| 名前 |
本動堂公会堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
こちらの本動堂(もとゆるぎどう)と変わった地名には、なかなか面白い言い伝えがあるそうです。仁治元年(1240年)の昔のこと。武蔵の国の住人である津戸三郎為盛という者が、木曽の郷戸の駅に泊まったところ、不思議な夢を見ました。手に蕾の蓮の花を持ち、陣羽織を着け、足に兜を穿いた異形の武者が、枕頭に立って「自分を東国へ連れて行け。縁ある土地に着いたならば、そこで重くなるであろう」と言ったのです。朝になってから木こりに尋ねてみると、すぐ近くに巴午前が守り本尊とした観音様があるとのことでした。それを聞いた為盛は、夢のお告げに従って観音像を背負い、関東に向かいました。そして上野国緑埜郡鮭塚というところで、お告げの通り、観音像がズッシリと重くなったので、そこにお堂を建てて安置しました。このお堂は村人達に大切に守られましたが、あるとき大変な日照りがありました。春から秋まで、まったく雨が降らず、田畑は枯れ野のようになってしまいました。村人達は、他に頼るものもなく、お堂にひれ伏して一心に祈りました。するとどうでしょう。お堂がグラグラと揺れだし、それとともに地面を叩きつけるような雨が降り出しました。このことがあってから、お堂は動堂(ゆるぎどう)と呼ばれるようになり、村の名も動堂村となりました。のちに藤岡の城主であった芦田氏が、このお堂を移し立派なお寺を建てました。これが現在の一行寺だそうです。そして、もともとお堂のあった動堂村は本動堂(もとゆるぎどう)と称されることになったのだとか…(^_^ゞ