金山城の重厚な石垣体験。
物見台下通路・馬場下通路の特徴
馬場下通路は、石垣を狭めた堅固な侵入路です。
物見台から馬場へ続く歴史的な拠点の一つです。
当時の重要性を感じさせる独特な雰囲気があります。
文明元年(1469)新田一族であった岩松家純が五十子陣(埼玉県本庄市)を退き金山城に入城しました。「戦国時代の関東の山城には本格的な石垣普請の城はない」という従来の定説が発掘調査で覆されたほど、多くの石垣が多用されています。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐に際し、前田利家らが金山城を接収し、廃城となりました。物見台の下の土橋から竪堀までの間には石畳の通路が発見されました。この通路は土橋から見通せないように曲がっています。通路は竪堀にかかる木橋と竪堀の底に下る階段に分岐してます。
石敷きの通路として発見された。城の防御上、敵からは見渡せないように曲がった通路となっている。土塁石垣が通路を隠し敵を威圧している。
石垣を狭めて侵入者を絞り、上から弓で狙い撃ち。
こちらも当時は重要な拠点の一つとして、重宝されていた場所だったのでしょうね。様々な想像が頭を巡ります。
馬場下通路は物見台から続く馬場の下の堅固な侵入路で石垣が多用されています。
物見台下にある。
| 名前 |
物見台下通路・馬場下通路 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0276-20-7090 |
| HP |
https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/topics/nyumon.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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関東の城には極めて珍しい石垣に遭遇してテンションがだだ上がるけれども、クライマックスはまだまだこの先。