金山城の大手虎口、圧巻の石垣。
大手虎口の特徴
大手虎口の立派な石積みは、山城の厳重な防御を感じさせます。
有名な地点である虎口は、歴史の息吹を体感できる場所です。
かつての鬱蒼とした雰囲気から美しく整備された景観が魅力的です。
この大手虎口は、金山城防御のための最終防御地点で、この通路を通らなければ城主のいる実城に行けない構造になっています。また城の格を示す場所でもあり、金山で最も重要な虎口です。現在は見事な石垣と石敷が復元されていて、金山城跡の最大の見所で一見の価値がある場所だと思います。戦国時代は、門・柵・塀などが石垣の上にあったと思われ、そのことは金山城跡のガイダンス施設の模型からも伺えます。
金山城の一番の見どころ。あまりにも立派な石垣に山城であることを忘れる。変に観光客目当てになんちゃって天守閣とかつくらず、石垣を復元した太田市の骨太な考え方に賛同します。
文明元年(1469)新田一族であった岩松家純が五十子陣(埼玉県本庄市)を退き金山城に入城しました。「戦国時代の関東の山城には本格的な石垣普請の城はない」という従来の定説が発掘調査で覆されたほど、多くの石垣が多用されています。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐に際し、前田利家らが金山城を接収し、廃城となりました。大手虎口は城内への出入口です。敵の侵攻から城を守る重要な場所です。金山城には多くの虎口がありますが、ここの大手虎口は金山城で最も重要な防御拠点です。
金山城跡を代表するスポットです関東の山城には比較的珍しくきっちり石垣が構えられており城跡の中でも特に見ごたえがあります正面の木がハート形に見えるなーとメルヘンなことを思ったり思わなかったり。
群馬県太田市にある城跡で日本百名城になっている金山城跡。戦国時代に造られた城で金自然地形を利用して造られた山城になっています。難攻不落の城というだけあって道なりがけっこう険しかったです。
城の出入口である「虎口」。昔は小口と書いたそうです。
山城で有ることを忘れてしまいそうな、立派な石積みの虎口。床面や水路も含め、とても立派です。
ここがあの有名な場所。言葉いらないね。
ここから石垣が多くなります。
| 名前 |
大手虎口 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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金山城の大手虎口は、城の主要な出入口であり、金山城が難攻不落とされる防御の要の一つです。複雑な構造を持つ**桝形虎口(ますがたこぐち)**と呼ばれる形式で、敵がまっすぐ城内へ侵入できないよう、出入口が屈曲しているのが特徴です。石垣に囲まれた狭い通路や、敵を袋小路に誘い込むような構造になっており、侵入してきた敵を側面から攻撃しやすいように工夫されています。この大手虎口を突破するには、まず「月の池前の大堀切」を越えなければならず、二重の防御が施されていました。城を訪れる人々が最初に目にする場所であり、金山城の堅固な防御思想を体現する重要な遺構です。