貞観年間創立の神社へ。
友之郷開運稲荷神社の特徴
友之郷開運稲荷神社は清和天皇の御代に創立されました。
境内には保食命や菅原道真を祀る神社があります。
古くからの下野の国 梁田郷としての歴史があります。
2021年3月に訪問。友之郷開運稲荷神社祭神 保食神(ウケモチの神)現在の福居南町は、往古より下野(しもつけ)の国、梁田郡(やなだごうり) 友之郷(とものごう)と称し、当神社の設立は、第五六代清和天皇(せいわてんのう)の御代、貞観(じょうがん)年間(今から一一00年前頃)京都伏見稲荷神社の御分霊を友之郷の守護神として奉遷(ほうせん)したものと云われています。友之郷八木宿(やぎじゅく)は、古来より交通の要衝に位置し、人馬の往来が多く、江戸時代初期には京都朝廷より日光東照宮への例幣使街道(れいへいしかいどう)沿いの主要な宿場町として栄え、友之郷開運稲荷神社には参拝者が絶えず、また縁日には神社境内のほか参道にまで楽市(らくいち)(現在で言う自由市場)が立ち並び、近郷からの物資に満ち溢れ、人々は自由に商いし、村人は皆憩い潤い、五穀豊穣(ごこくほうじょう)・商売繁昌(しょうばいはんじょう)・開運成就(かいうんじょうじゅ)・家内安全(かないあんぜん)の村社(やしろ)として大いに賑わったとされています。時代は移り明治・大正・昭和初期にかけては、あでやかな歌舞音曲が漂う福居花街を背景に、その賑わいは近郷には類を見ないほどのものでした。現在の本殿は天明六年(西暦一七八六)に改築され、更に大正十一年に再修築されて現在に至って居ります。今日では、静かな杜(もり)のたたずまいの中、風格ある社殿に施された豪華な彫刻や、蔵物(ぞうもつ)の極彩色(ごくさいしき)の絵馬(えま)等に往時の隆盛が偲(しの)ばれます。近年、同村社の持つ歴史・文化的価値を見直す運動の盛り上がりと共に、往古を偲ぶ楽市(自由市場)の復活を目指す気運が高まっています。平成八年十月吉日 友之郷開運稲荷神社社務所。
| 名前 |
友之郷開運稲荷神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0284-22-4472 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=76051 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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友之郷開運稲荷神社(とものごうかいうんいなりじんじゃ)主祭神 保食命配祀神 菅原道真朝臣境内社 天満宮 八坂神社由緒現在の福居南町は、往古より「下野の国 梁田郷 友之郷」と称し、当神社の創立は第五十六代清和天皇の御代、貞観年間(859~877)京都伏見稲荷神社の御分霊を友之郷の守護神として奉遷したものと云われています。友之郷八木宿は古来より交通の要衝に位置し、人馬の往来が多く、江戸時代初期には京都朝廷より日光東照宮への例幣使街道沿いの主要な宿場町として栄え、友之郷開運稲荷神社には参拝者が絶えず、また縁日には神社境内のほか参道にまで楽市(現在で言う自由市場)が立ち並び、近郷からの物資に満ち溢れ、人々は自由に商いし、村人は皆憩い潤い、五穀豊穣・商売繁盛・開運成就・家内安全の村社として大いに賑わったとされています。時代は移り明治・大正・昭和にかけては、あでやかな歌舞音曲が漂う福居花街を背景に、その賑わいは近郷には類を見ないほどのものでした。現在の本殿は天明六年(1786)に改築され、更に大正十一年(1922)に再修築されて現在に至って居ります。今日では、静かな杜のたたずまいの中、風格有る社殿に施された豪華な彫刻や、蔵物の極彩色の絵馬等に、往時の隆盛が偲ばれます。(「境内案内板」参照)貞観十四年(872)に京都伏見稲荷大社の分霊を勧請した、友之郷の鎮守です。隣接の八木宿は例幣使街道の宿駅として栄え、当神社も五穀豊穣・商売繁昌・開運成就・家内安全の御神徳により参拝者が絶えませんでした。神仏分離令で稲荷大明神から現社名に変更しました。本殿は天明六年(1786)の改築です。町内の日限地蔵堂には、当神社の井戸から出土した石造地蔵尊が祀られています。(「栃木県神社誌」参照)