古き良き水戸藩の銭谷稲生神社。
銭谷稲生神社の特徴
銭谷稲生神社は水戸藩の銭に関係する神社で、歴史深い場所です。
築年数を感じる境内の雰囲気は撮影にも最適な空間を提供しています。
江戸時代の四文銭にまつわる重要な神社として、多くの参拝者が訪れます。
古着物リメイク作品の撮影に使わせて頂きました。水戸にこんな素敵な場所があり、嬉しかったです。地域の素敵な場所として残っていってほしいです。
金運のパワースポット!この神社は、「水戸銭」と呼ばれる寛永通宝を鋳造していた跡地。徳川幕府は徳川家光の時代まで、銅銭に関しては公鋳銭というものがなく、京都を中心に流通していた「京銭」の通称で呼ばれていた鐚銭という私鋳銭を使用していました。それが徳川家光の時代、1626年(寛永3年)に常陸水戸の富商・佐藤新助が、江戸幕府と水戸藩の許可を得て鋳造していた私鋳銭、いわゆる「寛永通宝」を1636年(寛永13年)に公鋳銭として採用されます。江戸期を通じて通用していた「寛永通宝」は水戸出身の貨幣だったということです。江戸期には鋳銭をしていたことから開放されていませんでしたが、明治後に一般公開された神社。
令和四年 初詣は 銭谷稲生神社 に 参拝させていただきました 備前堀も 氷が張り 寒い朝ですが こちらの神社は 昔から水戸藩の 銭 に関係しているので 参拝するようにしていました 境内の中を たくさん撮りましたので 見ていただければ幸いです まだ行った ことがない方は 一度 行かれると いいかなと思います。
此方の場所で水戸藩銭を作らなかったら、江戸時代の四文銭として使われた通貨はないので、団子が一串に四つ刺される事もなく、銭形平次のドラマもなく、あの大きな砂型も存在しなかったのでしょうね。お稲生様、ありがとうございます。
落ち着いて良い神社ですね。近くなので、散歩や、マラソンの 練習で立ち寄ってます。
2021.10.2.参拝同じく吉田神社の兼務社、八坂神社から徒歩で到着。吉田神社でこちらの御朱印を頂く際、お稲荷さんと言ってしまったがあながち見当外れでも無さそう。昔貨幣の鋳造所だった様だが、銭塚の隣には小さいながらも稲荷神社が建っている。正面の鳥居脇には狛犬だが、社殿の前には狐が神使として控えている。
通称“銭谷稲荷”、正式には“銭谷稲生神社”と言います。浜田小学校の裏手?、水戸市浜田町に鎮座する神社です。御祭神は保食神。赤い鳥居が、いかにも稲荷神社と言った雰囲気を醸し出しています。“銭谷”と言う地名の由来は、寛永二年(1625年)にこの神社の敷地で最初に寛永通宝銭を鋳造したことから、“銭屋”と言う地名になり、後に“銭谷”と記されたそうで、この一帯の旧町名は銭谷前と言います。ここで鋳造されたものは“水戸銭”と呼ばれていたそうです。境内には、水戸銭からきているのか、“水戸大黒銭”と入った石像や、銭塚がありました。銭谷盆歌の発祥の地でもあるそうで、碑もありました。♪銭谷盆歌 ハーア イヨウ 銭谷エ 田圃からエ 蛇が出たとても 銭谷エ 通いはエ やめられぬ ハア アリヤ アリヤ アリヤサ♪拝殿に向かって左側にも赤い鳥居と狛狐様が。こちらも参道になっているようです。また、拝殿前の石灯籠は、良くみると狛犬が逆立ちをしているデザインのもので、初めて見ました。境内、凛とした空気が流れ、背筋が伸びるようでした。正に神域と言ったかんじの緊張感を感じました。特に、浄化されたい時にお参りすると良いかもしれません。また、夏場はこちらの境内にて夏祭り(盆踊り大会)が行われます。景品も出る、なかなか大きなお祭りのようですよ。常陸大三宮である吉田神社の兼務社になっており、御朱印は吉田神社にて拝受出来ます。
| 名前 |
銭谷稲生神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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駐車場がなかった(分からなかった)ため遠くに車を停めて参拝しました。裏手の方には、たくさんの境内社がありました。御朱印は吉田神社でいただけました。