大八木諏訪神社で御利益体感。
大八木町 諏訪神社の特徴
大八木諏訪神社は1689年創建の歴史ある神社です。
御利益の実感が多く、多くの参拝者に感謝されています。
お祈りすることで物事がスムーズに進むと評判です。
お祈りしましたら、何事もいことに物事が進みました。
行った覚えがない。
大八木諏訪神社は元禄二年(1689)の創建と伝わっています。鳥居が二つ並んでいます。朱塗りの鳥居の横に旧鳥居と思われる石造鳥居があり、扁額は右下に置かれています。鳥居横の社号標の後ろに、「明治天皇御野立所跡」の石標があります。野立所とは演習などで野外に設けた天皇陛下の休憩所のことですので、何れかの時に立ち寄られたのだと思います。また、神社から200~250mほど南に離れていますが、ちょうど大八木町南交差点を東に折れて100mほど行くと、左側に大きな石灯籠があります。「大八木の高燈台」と呼ばれていて、ここから北へ向って井野川を渡ると「諏訪神社」があります。この灯籠、もとは中山道新町宿の神流川岸に建っていたもので、山内種俊氏著・「上州の旧街道いま・昔」に逸話が書かれています。高崎市指定文化財 大八木町の獅子舞大八木町諏訪神社獅子舞の起源は、古文書等が残されておらず不明であるが、大八木町諏訪神社が「信州諏訪」「和州高市郡天の香具山」「濃州醒ヶ井の日本武尊」の三ヵ所から分霊を移した時に獅子舞を奉納したとあり、現在使用している獅子頭の裏に、墨書で「宝暦十年十月七日当国碓氷郡下豊岡村彫刻師鈴木与七作」と書かれていることから、少なくとも宝暦十年(1760)以前には獅子舞が行われていることが分かります。また、それ以前に作られたと思われる獅子頭も見つかっており、現在は修理し、二組の獅子頭が使用されています。近隣の獅子舞と違い舞の構成など戯曲化されておらず、農耕民俗芸能の特長をよく残しています。流派は判官流。一人立連舞形式で笛方の曲に誘導されて獅子自らが腰の太鼓を打って舞踏します。通常は赤鬼、青鬼の二人が舞の開始前に霞新流の棒術を行い、大黒様の悪魔祓いのかけ声に舞方が円形を成し、舞を行います。舞は獅子頭をつけた前獅子・中獅子・後獅子の三人と、天狗面と鳥甲をかぶったカンカチ一人、大黒面をつけた大黒様一人の五人で構成されます。かつては成人男子によって継承されてきましたが、昭和四十七年から小学生に笛と舞を教え始め、現在ではかつて教えを受けた子ども達が指導者となり、次の世代へと受け継がれています。(ぐんま地域文化マップ及び高崎新聞HPより)
名前 |
大八木町 諏訪神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
027-343-1181 |
住所 |
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評価 |
3.4 |
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とても御利益があると実感していますありがとうございます。