田んぼに鎮座する夏越しの神社。
武射神社の特徴
五穀豊穣祈願の稲荷様が祀られている神社であります。
毎年六月晦日に執行される夏越の神事が魅力的です。
田んぼに囲まれた静かな環境での参拝が心温まります。
前々から近くを通るたびに気になっていたので立ち寄りました夏越しの神事が有名なようです歴史のあるお稲荷様もあります。
日本武尊が東征の際、当地の近くは小島が多く、尊が駐在していた館から濤声を聴きながら荒波が打ち寄せる様を眺め、「ここは鳴濤だ」と申されたことから鳴戸という地名がついたという。安貞年中築城の際、成東に改称したという。当地を治めた牟邪臣(むざのおみ・武射国造)は和邇氏の一族であり、入江のある水系を管理した。また彦押人命は武社国造であり尊と係わりの深かった尾張氏の一族で、家来が当地に住み着いたという伝承には矛盾がないと考えられている。
大己貴命・面足尊・惶根尊を御祭神とする神社で、武射国造長忍人命の勧請と伝わります。文亀2(1502)年に領主である酒井定隆が当社へ参拝、以来酒井氏代々武運を祈り崇敬され、慶長12(1607)年に社殿を再興、上下武射田の産土神として鎮斎し今日に至ります。当神社に伝わる『武射神社 夏越の神事』は、毎年6月晦日に田植えが終り季節の交替に当たって、邪神を払い災いを除く年中行事の一つで、昭和60(1985)年1月18日に東金市の無形民俗文化財に指定されています。西側から田んぼを抜けてアプローチすることにより駐車場に到達します。トイレありました。
五穀豊穣を祈願した稲荷様をお祀りしております。戦時中の東金飛行場の飛行ルートからお宮の上空を避けて飛行するなど戦時エピソードが残された神社。
2022・05・30家之子八幡神社様で直書き御朱印を頂けました。
武射神社夏越の神事この神事は毎年六月晦日武射神社で執行される 夏越(水無月)の祓え(魂)と云い、田植えが終り季節の交替に当って、邪神を懐い災を除く年中行事の一つである。祭事は古式に則り清浄厳粛に展開する中を一般参詣人は予め鳥居に設けられた浅茅の輪をくぐり、茅麻ので身を祓い清め、撫物と伝う人形で身を、撫でてもらい参拝を終る。昇殿者は神前に設けられた真菰のござに座し、二人の介添人が挙げる輪をくぐり この二人が声高く「水無月の夏越の祓えする人は千歳の 命のぶと云うなり」の和歌を朗詠する間に玉串を奉奠して退出するのである。この祭事に使用した一切の輪幣撫物等は取り纏められ、作田川の川原に持ち出し、水辺に斎串を立てて祝詞を奏し祓い清めて水中に流し神事は完了となる。所謂、禊の神事である。この神事の起源は遠く慶長年間(一五九六~一六一四)と云われているがこれが世に喧伝され始めたのは江戸中期といい、以後 武射郷は勿論、近郷近在の農民の信仰を集め、現在に至るまで 素朴な民俗信仰の姿を伝えているのである。【現地案内板より抜粋】Googlemap上の位置が間違えています。➡その後、修成済み真っ赤な本殿が目を引きます。
夏越しのお詣りが有名な地域密着型の神社の様です。周りは田んぼに囲まれています。社務所はありますが祭事の時意外はあいていない感じです。本殿後ろのお社が赤く塗られていて立派で神社の裏口の駐車場側にある小さいお社は外観は手入れはされていますが社の中は余り手入れはされていない感じで少し寂しい感じがしました。
田圃の中に地域を見守るように鎮座している。
回りは、田んぼで稲穂が頭を垂れており、嗚呼、自分は農耕民族だなぁ、、和むーと、思える所に、神社があります。熊野神社に周囲は似ておりますね。中は、先の大戦の石碑があったり、思い入れがある神社ですが、本殿?のある辺りはまぁ、綺麗にされているが、入り口辺りのお稲荷さん、先の大戦の石碑がある辺りは、寂れている。推測だが、本殿と、お稲荷さんの辺りは、地元と、地元以外の分かれているのか?と、思ってしまう。お稲荷さんの寂れ様は、極たまに昔等見掛けた、氏神様等奉られているお社が、そんな感じだった。要は、ヒトの手があまり入ってないと、いった感じだ。うん、想いがあってお社を創建したのに、寂れ朽ち果てるのは、忍びないな。
| 名前 |
武射神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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