枡形城跡から真田の里を見晴らす。
砥石城 枡形城跡の特徴
周辺の杉林を歩きながら山城巡りができる魅力あるスポットです。
砥石城や米山城との繋がりが楽しめる歴史的な舞台です。
枡形城跡からは真田の里を見渡せる絶景が広がります。
城跡は本城と比べて広くは無いですが、見晴らしはよく真田郷などの見晴らしが良く、いつ攻めて来るか分かる位置に有ります。
砥石城までくれば本城、枡形城は近いです。枡形城まで来たら引き返しても良いかも。先ず枡形城先が急傾斜でロープにつかまりながら下りるほどです。進んで行くと米山城跡登山口まで下りてしまうため、再び登らなくてはなりません。
誰もいない時にマンテンバイクで下りますから。
枡形城跡 (830m/240m)土塁,郭,堀上田市住吉字砥石上野城山砥石城、米山城、本城、枡形と連なる砥石崩れの舞台となった、枡形城が一番高い場所にある、枡形城からそのまま下ると、真田氏本家海野幸真(うんのゆきさな)のお墓のある陽泰寺に行くことが出来る、山城巡りと共に歴史散策も楽しめる。上田・小県地方には、たくさんの山城跡がありますが、砥石城跡のように戦国時代4回も対決が行われた城は、ほかにはみあたりません。また、砥石城は、真田氏の発展にとっても、きわめて重要な意味をもった山城です。天文十九年(1550)甲斐〔かい〕(山梨県)の武田信玄が、村上義清(坂城の葛尾〔かつらお〕城主)の守る砥石城を、大軍をもって一ヶ月余攻めましたが、堅固な山城のため攻略できずに、かえって敗退しました。その翌年武田氏配下の真田幸隆が、得意の戦略によって、砥石城を乗っ取ってしまいました。ついで天正十三年(1585)の第一次上田合戦の際、上田城の背後〔はいご〕をおさえるだいじな砥石城には、昌幸の長男信幸(之)が守りを固めていました。さらに慶長五年(1600)第二次上田合戦の時、昌幸の二男信繁(幸村)がたてこもりましたが、後に徳川に味方した兄信幸が入城することになりました。このように上田盆地の北半分のおさえであった砥石城は村上・武田.真田・徳川らの争いの場になったのです。砥石城跡は、上田盆地の北東にそびえる東太郎山の尾根先を利用して築かれ、東は神川沿いの切りたった崖、西は急坂続きの斜面で、麓に展開する旧神科村畑山〔はたやま〕・伊勢山・金剛寺の三集落にまたがるスケールの大きい山城群です。一番広大な本城を中心に北に桝形〔ますがた〕城、南に砥石〔といし〕城、西南方に米山城があり、この四城をまとめて砥石・米山城跡といいます。本城 - 伊勢山の陽泰寺前から内小屋・水の手と呼ばれる場所を通り、折れ曲がりの坂道を登ると本城です。桝形城 - 本城から矢竹のしげる尾根道を120m北に進むと、標高800mの所にあって、真田方面が一望できます。
駐車場から砥石城跡を通って峰伝いに杉林の中を歩くと一段高くなっているところが枡形城跡。東側斜面にも下の住宅地からのルートもあるがあまり登られていないので荒れている。案内看板はあり。山頂は春に蝶が飛びかって綺麗なのでその時期がオススメ。
名前 |
砥石城 枡形城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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砥石城の最奥の枡形城からは真田の里が見下ろせます。真田山城などの複数の城や館跡など真田尽くしです♪ベンチも一つだけあるので弁当昼食も楽しめました!下りは一気に下れました。少し膝が笑ってたけど(笑)思ったより時間がかからなかったので、上田城もついでに見に行きました。正に真田尽くし(笑)