尾山神社の凛々しい前田利家像。
前田利家公像の特徴
戦国時代の武将・前田利家の銅像が見事です。
尾山神社境内に位置する歴史ある彫刻です。
夜でも見学可能で、訪れる価値があります。
前田利家公像加賀百万石、加賀藩の初代当主前田利家の像です。
訪問日 2024/8/11何だか変わった立ち姿の騎馬像だな…と足を止めました。この、大きな荷物を背負った前田利家公の騎馬像は「母衣」(ほろ)という流矢を防ぐために鎧の背にかけた布に竹やクジラの骨で骨組みし、風で膨らんだ形を示した物だそうです。戦国時代に騎馬武者は、これを背に戦場を駆け巡り連絡の役を努めました。このような騎馬武者を母衣衆と呼びました。織田軍団の母衣衆は、佐々成政を筆頭とした十人の黒母衣衆と、前田利家を筆頭にした九人の赤母衣衆の十九人でした。戦闘時は、諸隊のガイド的役割もあり敵の目に付きやすく、大変危険な死と背中合わせの役回りだったようです。
境内にある前田利家公像。織田信長 臣下「槍の又左」の異名は有名。赤母衣衆の筆頭。勇壮な彫像です。
この像の良い所は背中の大きな母衣!そもそも母衣の存在を知りませんでしたが、背中のデカデカとした謎の物体があることで興味をもて、すぐ隣に説明があることで、理解する流れができていて良いですね!
母衣姿の前田利家。良いな。
夜でも、入って見ることが出来ます。
前田 利家(まえだ としいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。加賀藩主前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。俗に加賀百万石の祖とも称されるが、前田家が百万石を超えるのは利長・利常ら利家の息子たちの世代からである。
若々しい。母衣つけた像です。
金沢城址の像も凛々しいですが、こちらの戦場を駆ける姿の前田利家公の像も見事です。
| 名前 |
前田利家公像 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
076-231-7210 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 8:30~18:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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前田利家は強かったのか?前田利家は強かったと言えます。織田織田信長と豊臣秀吉という二人の天下人に仕え、その剛勇さから、『槍の又左』と異名され、長槍を操る荒武者として知られていました。また、戦功において、加賀百万石の大領地を得て、五大老の一人にも名を連ねる、大大名へと成長しました。前田利家が強かった理由若い頃の前田利家は、三間半(約6.3m)もの長槍を振り回し、その勇猛さから『槍の又左』と称されるようになりました。⦿戦功と加賀百万石の獲得佐々成政討伐の功績などにより、豊臣秀吉から加賀を含めた広大な領地を与えられ、加賀百万石の大大名となりました。⦿豊臣政権ではの重鎮豊臣秀吉の死後、徳川家康と並ぶ執政として、五大老の一人に数えられ、豊臣政権の重鎮として大きな力を持っていました。その他⦿前田利家はその優れた『戦国大名』として生き残り戦略によって、加賀潘の基礎を築きました。ちなみに前田利家も若い頃は『傾奇者(かぶきもの)』と称される変わりものでした。『かぶきもの』と言えば、甥の前田慶次が『かぶきもの』と呼ばれるほどの変わりものでした。血は争えないですね!