川上御前で山中の静けさを。
川上御前の特徴
白山比咩大神を祀る祠があり、信仰の深さを感じます。
登山道は不明瞭で、迷いながらの冒険感が魅力的です。
水を守る女神伝承が、神秘的な雰囲気を醸し出しています。
白山比咩大神を祀る祠でしたが、白山比咩神社側にある河濯尊大権現堂のお姿に近いです。瀬織津姫。
残雪時期に単独で川上御前下の登山口から大長山へ上った事ありますが登山道が不明瞭で迷いながらなんとか往復してきました。難易度は白山より高いです〰️
| 名前 |
川上御前 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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白山信仰の登拝路にひっそりと残る川上御前は、水を守る女神の伝承が今なお語り継がれる山中の社跡である。川上御前(かわかみごぜん)は、白山市白峰の西俣谷沿い、標高のある山腹に位置する社跡である。伝承によれば、奈良時代に白山を開いた泰澄大師がこの地で夢に女神の啓示を受けたとされる。女神は「私はここで国中の水を守っています。水害があればそこへ赴き、収まればここへ戻って過ごします」と語ったという。泰澄はこの神託に感謝し、自ら女神像を彫って祀ったと伝える。こうして川上御前は、水の守護神として白山信仰の中で重要な存在となった。現在の川上御前社跡は、小原峠から西俣谷川沿いに約800m下った山腹、川面から約30m上の中腹に位置する。平坦な地形に二段の造成がなされ、上段には銅板葺きの小さな祠が建っている。この祠は、かつて近隣に暮らしていた三ツ谷集落の出身者らによって昭和60年代後半に再建されたもので、現在では地元の保存会によって維持管理されている。祠の内部には、かつて当地に祀られていたと伝わる女神像の複製が安置されている。この社跡がある地点は、古くから白山登拝路のひとつである越前禅定道の通過点であり、白山十二宿の第七宿「河上」にあたるとされる。登拝者はここで身を清め、山頂の奥宮を目指して進んだ。この越前禅定道は福井県側の平泉寺から白山山頂へ至る修行路であり、加賀・美濃の各禅定道とともに白山信仰を支える重要な路線であった。中世には越前の平泉寺がこの地域の信仰を掌握しており、川上御前の祠も平泉寺の勢力圏内にあった。天正11年(1583)、平泉寺が再興された際、泰澄が彫ったと伝わる川上御前の女神像は本社に移され、以後、同寺の神体として祀られるようになったという。この伝承により、現在の祠には複製像が安置される形となっている。また、川上御前には越前和紙の里における紙祖神伝承も残る。越前市五箇地区の岡太神社では、白山から下った女神が紙漉きの技術を伝えたと語り継がれ、川上御前の名で祀られている。山の信仰が里の生業と結びついた典型例であり、白山の水がもたらす恵みを象徴する存在として川上御前は地域に根付いた。川上御前社跡周辺には、白山登拝にかかわる遺構がいくつか残されている。すぐ近くには「剃刀窟(かみそりいわ)」と呼ばれる岩窟があり、泰澄が白山開山に際し髪を剃った場所と伝えられている。洞窟内には、明治期の廃仏毀釈で破壊された石仏の破片も残るという。さらに西俣谷を下れば、かつて集落があった三ツ谷や、丈六神社跡といった信仰の痕跡も点在している。この地域全体は、白山国立公園内に含まれ、平成8年には文化庁の「歴史の道百選」に白山禅定道の一部として選定された。また、白山市白峰の町並みは平成24年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。こうした指定の背景には、白山信仰を支えた山岳修行や、それを守り伝えた山村の生活文化が高く評価されたことがある。川上御前は、観光客の多くが訪れるような場所ではない。登山道からも見えにくい山の中腹に静かに祀られ、地元の人々の手で丁寧に守られてきた。その静寂の中に立つと、1300年前に泰澄が見たという天女の夢と、山と水に対する人々の畏敬の念が今も息づいているように感じられる。社殿の背後に広がる森、川の音、そして神への祈りの場として刻まれた平場の存在が、白山という霊山の深い信仰世界を今に伝えている。川上御前社跡は、白山信仰の中心である奥宮や白山比咩神社、そして平泉寺といった大きな聖地とは異なり、目立たない存在である。しかし、その場所に息づく信仰と伝承は、白山信仰の広がりと奥深さを示す貴重な証言といえる。水を守る女神の祠として、また登拝者が足をとどめた霊地として、川上御前は今も変わらぬ姿で山中に佇んでいる。