歴史を感じる三登山トレッキング。
若槻山城跡の特徴
鎌倉時代や戦国時代に使われた山城の歴史を感じる場所です。
標高676mの位置から長野市内を一望できる絶景ポイントです。
遺構が良く残っており、見どころが豊富な史跡の山城です。
説明板もあり遺構も良く残って見所多いのですが、熊🐻が出没するみたいなので注意されて下さい🥷
若槻山城跡形態:山城(675m/250m)別名:なし文化財指定:市指定史跡遺構:土塁,郭,堀城主:高梨氏歴史:鎌倉時代の若槻氏の城とも云われるが、若槻氏に関しては詳らかではない。応永11年(1404年)大塔合戦の後、幕府方の市川氏幸が若槻下芋河之要害を攻め落とすことに成功している。この頃、若槻のあたりは高梨氏一族の知行であることから、若槻城は高梨氏の支城と考えられている。説明:若槻山城は三登山から南へ派生した尾根の一つ、標高675m付近に築かれている。この上には番城、下には堂沢出丸、麓には里城がある。主郭は標高675m付近にあって土塁が巡る大きな曲輪である。主郭から南東の尾根に向かって数段の大きな段曲輪が続いており、北側に土塁が付いている。また主郭から南側面に二条の竪堀があり、その間にも段曲輪がある。主郭背後の空堀が圧巻で、三条の堀切はそれぞれ竪堀となって東西に伸びているが、東へ伸びた竪堀が長大で美しく、山腹で合流している。山腹に林道があり、そこから少し登った辺りには堀切があり、林道付近から上がほぼ城域である。案内:西の県道37号線から林道に入り道なりに進んで行けば若槻山城入口の道標がある。ここまで林道は未舗装だが、道幅はしっかりとしている。
遺構が残った地域の拠り所の山城です。倒木多し。
鎌倉時代、室町時代、戦国時代と山城として使われたそうですそんな歴史の流れを感じさせます。
史跡、山城跡。見晴らしはよかった。昔の武将がここから長野市を見下ろしていたと思うと、感慨深い。
標高676m. 林道があって車ですぐ下まで行ける。モチロン麓から比高約250mのトレッキングを楽しむのもイイんでないの♪横堀と堀切と段々曲輪を登って主郭に出ると 土塁が囲んでる♪背後にはドッカーンと大堀切に連続堀切があらわる♪(^◇^)しかも竪堀u0026竪土塁のウネったヤツが♪下で一ヵ所にまとまる扇堀バージョン♪あ~草刈りしたくなる~
遺構良く残り良いですね☺️木々が焦げてましたが、山火事?
登るにハード。
長野市内も一望できて良かったです。比較的遺構が良く残ってました。
名前 |
若槻山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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標準的な山城。