明治の文化が息づく、渋沢栄一ゆかりの寺。
教覚寺の特徴
渋沢栄一が家族と共に居住歴のあるお寺です。
明治初期の文化が色濃く残る特徴的な空間です。
鎌倉初期に設立された念仏道場が根底にあります。
大河ドラマや新貨幣で注目の渋沢栄一が明治初期、家族で3ヶ月ほど住んでいたことのあるお寺です。街なかにあるのに静寂に包まれ、静岡で近代日本が始まる歴史に思いを馳せられますよ!
短期ですが、渋沢栄一が住んでた事が有ったみたいです。
2024年度から新一万円札の渋沢栄一外国から帰国後徳川慶喜の静岡藩で過ごした場所。
さすが明治時代にできたお寺、明治の文化を入れまくってる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!またいきたいなぁ。
説明書よりーーー駿府九十六ケ町のうち常慶町(じょうけいちょう)浄土真宗の開祖親鸞聖人の教えに帰依した光信房は、鎌倉初期の文暦元年(一二三四)、自宅(清水区入江)を転じて1寺を建立し念仏の道場としました。これが松江山教覚寺の起こりです。その後、元和二年( 一六一六)第十代乗真の時に、徳川家康公の家臣松下常慶の屋敷を譲り受けて、この地に移転しました。松下常慶は、駿府城築城の時の功績により城内に常慶蔵や常慶門(東御門)の名前がつけられ、また、屋敷も与えられましたが、家康公の死去に伴い江戸に移っていました。「常慶町」は松下常慶が居住していたことにちなんだ町名で昭和二十年まで教覚寺境内地だけで一町内という珍しい町でした。明治のはじめには、静岡藩の商事機関であった「商法会所」が改組され「常平倉」となり紺屋町から教覚寺内に移されました。それとともに、静岡藩の勘定組頭を務めていた渋沢栄一 一家もしばらく教覚寺に寄宿していました。教覚寺は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院で、開基以来、一貫して仏法聴聞、念仏相続の道場としての役割を果たしています。ーーー教覚寺と渋沢栄一静岡藩の財政を任された渋沢栄一は明治二年に「商法会所」という日本で最初の株式会社を設立した。その場所(現浮月楼)が同年九月に謹慎を解かれた徳川慶喜公の住まいに決まったので、「常平倉」と改名した商法会所は、その組織機能を引き継いでここ教覚寺に移転した。彼は家族と共に教覚寺に住み、常平倉の経営の指揮にあたったが、明治政府に招かれ同年十一月には東京へ移った。彼の長女穂積歌子はその著『はゝその落葉』に次のように書いている。「我が家は常慶町の教覚寺と云う寺の客殿を借りて移り住むことになった。こゝは真宗で、妻子も有り家族が多かったので、寺とは云っても淋しいとも思わなかった。」
比較的に現代(明治時代)のお寺!Comparatively modern Buddhist Temple dating back to the Meiji Era!
| 名前 |
教覚寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
054-252-5091 |
| HP | |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
|
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今はお墓が無く納骨堂になってしまいましたが先日お参りに行って来ました。街の中心地なのにお寺の敷地内の静けさがいつも心を落ち着かせてくれます。