見晴らしの良い高台で 心を紡ぐ依田神社。
木曽義仲館跡の特徴
木曾義仲が拠点を構えた丸子の依田城の歴史が感じられる場所です。
見晴らしの良い高台に位置し、景色を楽しむには最適です。
信濃源氏の重要な拠点とされる史跡で、歴史を学べる貴重なスポットです。
依田神社と同じ?なのかな?
人の手が入ってない、看板は立派。
見晴らしの良い高台。ハイキングや、ピクニックに、最適。ベンチがあるだけなので、飲み物、食べ物は、各自用意して、飲食も楽しんで見て下さい。ごみ箱は無いので、各自持ち帰るようにして下さい。
名前 |
木曽義仲館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.9 |
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木曾義仲は信濃源氏の勢力を糾合するために、丸子の依田城に拠って平家打倒のための準備を進めました。依田城は地元の豪族、依田氏の本拠でしたが、依田氏は軍勢の大将(首領)である義仲に城を譲って、自らは近隣の居館に移りました。地元の豪族としては依田氏のほか、丸子氏、長瀬氏が義仲を迎え入れて、依田城を拠点とし、2年半もかけて挙兵の準備を進めたそうです。その依田城は、この居館の南にそびえる尾根峰(城山)にあって、近隣の尾根筋にある曲輪や砦と連絡していました。その城山北麓にあるここが義仲の居館だそうです。依田城がある城山尾根の近く(北西)には金鳳山の尾根筋がそそり立っています。これらの稜線は西方の主峰、富士嶽山(御嶽山)につながっています。この富士嶽山系は塩田の南端を画す独鈷山の東にあって、木曽・松本・諏訪・佐久の各方面から北上する主要な道を扼する要衝でした。山に囲まれながら塩田、信濃国分寺、依田久保・丸子、和田峠をひとまとめに監視できるこの地は、信濃源氏の結集拠点として最適だと見られていたのでしょう。後に塩田は、鎌倉幕府の執権となった北条氏の有力分家(塩田北条氏)の領地となりました。今では「信州の鎌倉」と呼ばれています。塩田から丸子までの一帯は、源氏勢力による信濃統治のための拠点であり続けたようです。