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八雲神社の碑も、大山祇神や柴宮神社の碑も立派である。その中に福原の石工の名前が刻まれているものがある。郡山宿は文政7年(1824年)に村から町に昇格するが、その際二本松藩郡山組として宿場の木戸に当たる枡形の普請を義務付けられて、福原(現在の富久山町福原)や横塚から石材を運んで、枡形の石垣を建設している。それを考えると、福原は石材の産地のみならず石工としても優秀な人材を輩出し、だからこそ安積町荒井地区の石造供養塔にも名前が刻まれているのかもしれない。