戦国の魅力、滝尾山城探訪!
下南摩城跡の特徴
滝尾山城は戦国時代の山城で、広範囲な遺構が魅力です。
四重の堀切や大規模な横堀があり、見ごたえがあります。
標高225mの滝尾山からハイキングを楽しむことができます。
滝尾山城とも言うらしい招魂社から登った山麓、山頂、西側の谷筋部分と遺構が広範囲にあって山城ハイキングが楽しめる👌切岸♬横堀♬堀切♪連続堀切♬土塁♬土橋♬竪堀♬集合竪堀♬食い違い虎口♬クランク堀♬切岸下の堀♬など見ごたえある戦国遺構が盛りだくさん🙌隅々まで回ると時間と体力がタップリ必要なウレシイ山城でした🤭標高225m
勝願寺の東側の尾根から入りました。ちよっとしたハイキングコースになっています。愛宕神社の石祠があって更に登っていくと右へ方向を変えて進みます。空堀状になって[ござる坂]を上ると平場(郭)にでます。更に一段上ると、また郭があって土塁があります。左に登って道が二手に分かれます。右側に土塁の有る郭がありました。左を行けば本丸に到着。解説板、石祠があります。
滝尾山山頂と中腹に設けられた戦国時代の山城で、南摩秀孝の居城☺滝尾山頂の部分と中腹の部分と技巧的な差違があり、中腹のほうが新しい😁四重の堀切や大規模な横堀は見応えがある☺
| 名前 |
下南摩城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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鹿沼市下南摩町にある下南摩城は、滝尾山に築かれた山城で、別名を滝尾山城ともいいます。戦国時代、南摩氏によって築かれたと伝えられており、唐沢山城主・佐野盛綱の家臣である赤見広孝の孫、南摩十郎秀村が築城主とされています。南摩氏はその後、鹿沼城主・壬生氏に従いますが、1590年の小田原征伐で壬生氏が滅亡するとともに、城も廃城になったと考えられています。現在、城跡はハイキングコースとして整備されており、山頂に向かう道中には土塁や堀切などの遺構が良好な状態で残されています。山頂部には複数の曲輪(平坦地)や虎口(出入り口)を確認することができ、当時の築城技術や城の構造をうかがい知ることができます。