荊波神社で万葉を感じる。
荊波神社 (砺波市池原)の特徴
夜夫奈美の里とされる荊波の歴史を感じる神社です。
古地図に記載された荊波神社は延喜式内とされる由緒ある神社です。
万葉集にちりばめられた詩情が魅力の神社として知られています。
ここにあった杉の巨木が斬られたようです。大きな切り株しかありません。残念です。ついでに他の杉も皆殺しにされたようで、境内は非常に寂しく神社の威厳を感じられません…(^_^;)
周囲の木々が伐採されて幽玄なパワーが感じられなくなった。
「夜夫奈美の里に宿借り春雨に隠り障むと妹に告げつや」(大伴家持/万葉集)『越中万葉をたどる』(高岡市万葉歴史館編)によると、万葉集で詠まれた「夜夫奈美」の里は、「荊波」と同じとされるが、古地図の「荊波神」の記述から、延喜式内の「荊波神社」だと推定されている。現在富山県内には「荊波」の地名をつけた「荊波神社」は五社あり、そのうち三社が延喜式内だという。その中で、同書は砺波市池原の「荊波神社」こそ万葉時代の「夜夫奈美の里」だと結論付けている。※現在では「荊波」は『うばら』と読む。
名前 |
荊波神社 (砺波市池原) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
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令和6年3月2日参拝荊波(うばら)神社祭神の日子刺肩別命(ひこさしかたのみこと)は、「古事記」にみえる第七代孝霊天皇の皇子。奈良時代の砺波地方開拓の地方豪族、利波臣志留志(となみのおみしるし)の祖とされている。鳥居横には大伴家持の歌碑荊波(やぶなみ)の里に宿借り春雨に隠(こも)りつつむと妹(いも)に告げつや巻十八 四一三八 大伴家持縁檢察墾田地事宿礪波郡主帳多治比部北里之家 于時忽起風雨不得辞去作歌一首越中国守として墾田地を視察し、砺波郡の主帳(第四等官)の家に寄った時、思いがけず雨風が強くなって帰ることができず作った歌、とある(原文)夜夫奈美能佐刀尓夜度可里波流佐米尓許母理都追牟等伊母尓都宜都夜拝殿横の御神木を含むすべての大杉が伐採されていて哀しい。歌碑を読みながら古代、中世に想いを馳せようにも歴史ある神社の面影はなし。