平安の歴史感じる美和神社。
美和神社の特徴
美和神社は平安時代から続く伝統的な神社です。
上野国の延喜式内社に位置し格式高い神社です。
隣接する桐生西宮神社と共に落ち着いた雰囲気があります。
十二社巡り運転中に突然発見!?敷地内に桐生西宮神社もあります向に学校がありますね。歩道橋を渡って学校へ行けます歩道橋からの眺めもいいですね。伺った時、天気が良く、暫く腰を下ろしてしまいました。
何しろ歴史が有り、七百九十六年官社に任じられており、これは日本書紀等で記載されておりますが、重なる火災にて社史焼失したため正確には分かりかねます。しかし現在の桐生市の原点であること可能性大でありましょう。
隣接している桐生西宮神社同様、落ち着いた昔ながらの神社という感じです。
延喜式内社で、旧社格は郷社。立派な神社だが、雑多な感じがある。いろいろ詰め込みました的な。
美和神社。群馬県桐生市宮本町に鎮座。祭神は、大物主櫛甕玉命・素盞嗚命。延喜式内社、旧郷社。大和国大神神社(大和国一宮)からの勧請になる。桐生が岡動物園の南にある。境内は静かだ。境内社の桐生西宮神社は、毎年11月19日・20日にえびす講が開かれる。同市内に鎮座する桐生天満宮が兼務しているので、御朱印はそちらで頂ける。現在は、コロナの影響で一律書き置き対応。
美和神社は『延喜式神名帳』に記されている上野国山田郡、美和神社に比定される延喜式内社で式内小社。その名前の通り、大和国の御諸山の大神神社から勧進されたと言われております。どちらかと言うと向かって左に在る西宮神社の方が社勢が強いようで、美和神社の方は石段に歪みがあったりとちょっと寂しい雰囲気でした。参拝している間に雨足が強くなってきたので、鳥居脇の巨木の下でしばし雨宿り。お陰でほぼ濡れずに済みましたm(_ _)m
上野国十二社 郷社 美和神社御祭神 大物主櫛甕玉命(美和社) 素盞嗚命(旧八坂神社) 大物主命(琴平神社) 大山咋命(松尾神社) 思兼命(八意思兼神社) 蛭子大神(西宮神社)由緒創建は崇神天皇の御代(前97~前29)大和大神神社より毛野国に東国鎮護の神として勧請されたのが始まりとされています。延暦十五年(796)官社に列し、貞観四年(862)従五位下、元慶四年(880)正五位下を授けられました。明治五年(1872)郷社列格、明治四十一年(1908)八坂神社を合併し、八坂神社の境内に祀られていた思兼神社,機神社,市神母衣輪神社も当社境内に移転しました。松尾羅神社は明治の末にここに勧請されました。琴平神社は美和神社の古い境内社です。境内には美和神社社殿と同規模の社殿を持つ西宮神社も祀られています。(ブログ「山地の住人」及びサイト「諸国神社めぐり」より)美和神社と桐生西宮神社ではここを舞台に、桐生祇園祭や桐生ゑびす講の伝統行事が行われ良好な歴史的風致を形成しています。日本後紀によると延暦十五年(796)に官社となっており、延喜式内社の上野十二社の一社に記録された県内有数の神社です。現在の社殿は、幕末から明治初期に建てられたとされています。明治四十一年(1908)に、本町三丁目地内にあった八坂神社が合祀され、思兼社、機神社、母衣輪社も移され現在の形となりました。社殿の左側には神輿蔵もあります。松尾神社や琴平神社などの境内社も多く祭られています。(境内案内板より)八坂神社と神輿蔵の由来八坂神社を祀る桐生祇園祭の歴史は古く、明暦二年(1656)を起源とした祭礼です。祇園祭は元来天王祭礼とも云い、仏教の守護神である牛頭天王を祭神に厄除神として京都祇園社に祀ったことにより全国に広まった神仏習合の祭りです。桐生市本町三丁目の地(現市営アパート)に衆生院という寺がありました。元禄二年(1689)に市神、牛頭天王社を造営したことにより、子供の手踊りが中心の素朴な祭りも徐々に賑わうようになり、元文三年(1738)には衆生院の境内に神輿蔵を造営し、それまで本町四丁目の伊勢屋に借置きしていた神輿を移したことにより本格的な祭礼の形が整いました。その後江戸中期になると、祭礼屋台も造られ、各町思い思いの出し物で人を楽しませるようになり、主に狂言や練り物、曳き物などで競いました。江戸後期、安政の頃になると惣六町(本町の六町会)では大型の祇園屋台を建造し、夜通し歌舞音曲で賑わったため、「関東の三大夜祭り」と呼ばれました。明治維新が実現し神仏分離の布告が出されると、仏教の守護神である牛頭天王の神号は廃止され素戔嗚尊としました。又、京都の祇園社が八坂神社と改め全国に広まり、桐生では明治三年(1870)に衆生院が廃寺となり、八坂神社と改名し、それまで天王祭礼と呼んでいた祭りはこれを機会に八坂祭典と正式に決めました。しかし三丁目の地は明治十一年(1878)に山田郡警察署が新築されたため徐々に手狭になりました。明治四十年(1907)には恵比寿新道が完成。明治四十一年七月十五日末社と共に美和神社に合祀され、神輿蔵のみ建造し今日に至ります。八坂祭典の名称は平成六年(1994)より桐生祇園祭と改めました。尚、安置されている神輿は五代目として平成十三年(2001)八月完成しました。(境内案内板より)
上野國式内社ですが、無人で寂しい感じです、⛩️は別ですが同一敷地内に西宮神社。良く分からない神社です😅
上野国十二延喜式内の一つ。格式はありますが、今は、静かです。御朱印は桐生天満宮で頂けます。
名前 |
美和神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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平安時代に存在したことが神名帳に載っている神社です。奈良の大神神社から勧請されました。