東北最大級の山城、歴史を体感!
向羽黒山城跡の特徴
日本最大級の山城として名高い向羽黒山城跡は、戦国時代の蘆名氏が築いた城です。
東北最古の山城跡で、広大な郭や石塁の名残が各所に楽しめます。
車でアクセス可能なため、気軽に訪問しやすい便利な立地です。
日本最大級の山城との事ですが、車で周った為に実感がわかなかったです。本丸跡は駐車場から15分程でたどり着けました。トイレは駐車場横に簡易式がありキレイに手入れされていました。尚、スタンプは向羽黒山城跡整備資料館の外に置いてあります。
戦国芦名氏が築いた山城、東北最大級の山城です。堀切、曲輪、竪堀など良好な状態で残っています。
向羽黒山城は続日本百名城に認定されています。向羽黒山城は標高408mの向羽黒山に展開された山城です。城域は広大で未整備の部分も多く全体像は判然としません。上の方まで車で上がることができ、そこから一の曲輪まで比高60〜70m程度です。ここには尾根沿いに連郭式に郭が並んでます。豪快な規模の竪堀や堀切、虎口が見どころです。駐車場から下側に展開する中城(二の曲輪)は見どころ満載です。複雑な構造に郭が展開し、その中を豪快な竪堀、堀切などが見られます。ここには水の手や門跡、城道、土塁なども見られます。西下側に展開する西曲輪群は藪化しており判然としませんでした。麓近くにもいろいろ遺構があるようですが、時間の都合で見ることはできませんでした。山頂やお茶屋場からの眺望は良く会津若松市内、鶴ヶ城や磐梯山なども一望できます。ここは熊が出ることで有名ですので熊鈴は必須だと思います。当日は熊には遭遇しませんでしたが、カモシカの親子に遭遇しました。向羽黒山城は他の城ではなかなか見ることができない規模の遺構や複雑な構造を楽しむことができます。一見の価値ありです。向羽黒山城は葦名盛氏の隠居城として築かれたと伝わります。しかし、隠居城という規模ではありません。伊達氏との抗争が激化する頃大幅に改修されたと思われます。また後代、上杉景勝によって関ヶ原の戦い前頃にさらに大幅に改修されたとも言われています。
鎌倉時代から続いた100万石の会津太守と呼ばれた蘆名盛氏が築き、蘆名氏滅亡後は伊達、蒲生の支配を経て、上杉氏が改修したといわれる。城跡は広大で、岩崎山から羽黒山に連なり、山頂にある一の曲輪からは会津盆地が一望できる。山城としての地形がそのまま残されているとのことで、最大級の山城として、地元ではピーアールしている。もっと知られて欲しいと思う。
車ですぐ手前までアクセス可能なので非常に便利です。二の丸もよく整備されていて、アクセスし易いです。ただし、道は狭いので運転に自信がなければ避ける方が無難かも知れません。私が訪れた時間帯は向羽黒ギャラリーから登っていき、下りはそのまま反対側へ抜けて行く車が多かったように思えましたが、別に一方通行というわけではないので、対向は不可避と思います。天気が良ければ磐梯山がキレイに見えます。
日本最大級といわれるこの山城はやばいです!歩いて攻めようかと思いまいたが、途中で諦め車で登りました。何か所か駐車場が有るので車の方がいいかもしれませんが、狭い道があるので注意が必要です。城を築いたのは、会津の戦国大名・蘆名盛氏(あしなもりうじ)とんでもない城を作ったもんだ!
東北地方最後の続百名城訪問となりました。駐車場までのルートが心配でしたが、南下して登城口の看板が会津美里インフォメーションの所にあり、左折して山道に入って行きます。かなり狭い舗装道路ですが、退避場所を確認しながら10分程走行すると第一曲輪に1番近い駐車場に到着します。そこからは、徒歩でゆっくり登って20分くらい掛かります。年配者はストックがあると良いです。途中に堀跡を確認しながら登り山頂が第一曲輪です。帰りは来た道を戻り、お城のパンフレットを頂きました。スタンプは、向羽黒インフォメーションの入口横に設置されている様です。
「日本三大山城、東北一の山城の向羽黒山、蘆名氏の居城はどう?」と提案あり走ること約2時間。期待通りの山城でした。まずは、規模の大きさに驚き、山頂まで道路が綺麗で感動、そして、中腹での展望台から会津若松方面が一望出来晴々としました。竪堀や居館跡もキチンと整備されて、夢中になって散策しました!もう一度訪ねたい山城ですね。
2022‐9前から気になったいたので一人で一回りしてみた。かかった時間は1時間30分。見晴らしはいいが、素人の自分にはどこが城跡なのかよくわかりませんでした。
名前 |
向羽黒山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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城というか山でした。各所に案内や説明板がありますが、結構離れていて全容がわかりにくいです。竪堀などの遺構はしっかり残っていますし見所は結構あって楽しめます。