教育塔で語る室戸台風の歴史。
教育塔の特徴
室戸台風の犠牲者を追悼するために建てられた塔です。
教職員や児童の慰霊碑として崇高な外観を誇ります。
大阪歴史博物館からも美しく見える場所に位置しています。
初めて訪れました、室戸台風の犠牲者への追悼なのですね…このようなものが造られたとなると本当に多く犠牲になられたのですね。
ウオーキングイベントに参加しました。大阪城公園周辺は外国人があふれていました。日本人が歴史ある名所を観ること無く、外国人が熱心に観光しているのって?如何なものでしょうか!
いい天気ですね。
外観が崇高な感じがします。正面にはめこまれた2枚のレリーフ画またゆっくり見に行きたいと思います。
教育塔という謎の塔。
昭和9年(1934)9月21日に日本列島を襲った室戸台風は午前8時ころに暴風や高潮が大阪を襲い、未曾有の被害をもたらした。特に児童生徒の多くが学校内で犠牲となり、またこれを救おうとした教職員も命を落とし、社会に深い悲しみを与えた。これを機に同11年、不慮の災害や事故によって亡くなった教育関係者や児童生徒の霊を慰めるために設けられた施設が敎育等である。外観は崇高な敎育精神を表し、正面にはめ込められた2枚のレリーフ画は、子どもたちに対する教育者の情熱あふれる姿勢とひたむきな愛情を表す。との記載があります。設計:島川精、施工:清水組、正面レリーフ:長谷川義起。
よくここの広場でオフ会?みたいなのが開かれてます。
室戸台風(1934)で亡くなった児童と教育者の慰霊のために建てられた塔だそうです。先日(2018/09/5)の台風21号では恐らくそれ以来の強風が大阪を襲いました。この塔の東側にはビオトープ風の渓流が保存されており暖かい時節には子供連れで賑わいます。
手頃な広場があり集まるのに最適。
名前 |
教育塔 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6755-4146 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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室戸台風と名付けられた、台風の被害は大きかった。1934年(昭和9年)9月21日に、高知県室戸岬付近に上陸した台風の事である。京阪神地方を中心として、甚大な被害をもたらした。わたしの通った小学校は、毎年この時期に、室戸台風で亡くなった児童と、一人の教員のために慰霊の時を持つのであった。その為の大きな絵があったほどである。その小学校は廃校になってしまっている。ラジオ放送(JOBK)はあったが、ラジオを持っている家庭など少ない時代なので、小学校のあった町役場には、巨大で強烈な台風が近づいている情報は入っても、自宅待機などの連絡は出来ないのである。町立の小学校には児童が登校してくるし、先生方も通勤してくる。電車だって動いているのだ。貧弱な校舎は、超強風で吹き飛ばされて、空中へと舞ったのである。そして、50人足らずの児童が亡くなった。通学した児童も亡くなったが、登校しえない児童もいたんだそうである。家にいても結果がそう変わる訳ではなかった。大阪湾岸では、高潮による学校の崩壊や、関係者の死亡もあった。台風の被害は、死者2,702人、行方不明334人、負傷者14,994人。行方不明って死体が見つからない、っていう意味なんだ。ここからは、この記念碑のはなしである。大阪府全体で、小学生は校舎崩壊によって、600人以上が犠牲になったのだ。教育塔は、昭和11年(1936年)に完成したのである。