荒砥城の水堀散策、桜とともに。
荒砥城の特徴
荒砥城の水堀が残っていて、歴史を感じられます。
町歩きで最大範囲を確認できるので楽しめます。
春には種まき桜が美しく、見どころとなっています。
種まき桜が有名ですね。道に迷った直江兼続らを白狐が道案内したとの話がある御楯稲荷もここにあります。狐越街道の名はここから来ているそうです。蛇井戸の竜神などいろいろ見所があるところですよ。別名 石灘(いしなだ)城、早乙女城寛治元年(1087年)源義家がこの地に石清水八幡宮を勧請し、その後、石灘監物(けんもつ)が早乙女八幡神社を建立、永長年間(1096〜1097年)に藤原清衡の家臣荒川次郎清泰が築城したとされる。平泉が源頼朝に攻めれ滅亡した後は、大江氏(長井氏)が荒砥を支配したが、元中2年(1985年)8代伊達遠宗に攻められ長井氏は滅亡、伊達家臣の馬場将監が堀を巡らして荒砥城を改修した。天正9年(1591年)、伊達政宗が奥州仕置で岩出山に移封になり、代わりに蒲生氏郷の家臣水野三郎右衛門入た。慶長3年(1598年)蒲生氏に変わり上杉景勝が会津に入封すると、米沢城の直江兼続は泉沢久秀を配し、最上領との境の守りを強固にした。慶長5年の合戦では、荒砥城を兵站基地として畑谷城を攻め、山形方面へと進軍した。
名前 |
荒砥城 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0238-85-6146 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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荒砥城の新情報(僕が知らなかっただけ)水堀が残っているとのことで荒砥の町歩きをしたのですが、改めて荒砥城の最大範囲を確認しました。