鳥坂城で絶景ハイキング!
鳥坂城跡の特徴
標高347メートルの堅固な山城鳥坂城跡の魅力を体感できる場所です。
数々の曲輪や堀切など、見応えのある遺構が残されています。
森林公園から徒歩15分のアクセスで、絶景を楽しめます。
鳥坂城(とっさか)、大変眺めよくハイキングにはちょうど良きところであった!
数々の曲輪や堀切をはじめとする遺構が残る見応えの有る城跡。
鳥坂城跡は別名「鶏冠(とさか)城」ともいい、標高347メートルの堅固な山城です。この場所は飯山街道と善光寺(北国)街道が別れる分岐点であり、16世紀半ばから後半の戦国時代に築城されたと考えられます。武田信玄の北信濃侵攻(天文22年(1553)から永禄11年(1568)迄)に備えて上杉謙信が拠点の山城としてこの鳥坂城を整備しました。この時の城代は桃井左京という侍大将が務めてたと思われます。同城跡南東部麓にある妙高市上堀之内の浄土真宗本願寺派の菓城寺(同寺院は元亀2年(1571)に開基)境内に城代(もしくは土豪)の居館だといわれてます。(諸説あり)天正6年(1578)5月から行われた上杉謙信死後の後継者争いである「御館の乱」では当初上杉景虎方でしたが、上杉景勝方が奪回しました。景勝時代の城代は片桐善左衛門といわれてます。天正10年(1582)5月下旬、織田信長家臣で海津城(長野原長野市)主・森長可が越後国に侵入し、関山権現(妙高市の関山神社)を焼き払い上越市中郷区二本木に陣を置いたことから、上杉景勝時代も信越国境を守る鳥坂城は機能していたと考えられます。遺構は箱薬研堀や畝形竪堀といった複雑な作りになっており、16世紀末期まで機能していたと考えられます。本郭までいく途中に女性武者の祠がありますが、地元の方が昭和12年(1937)に寝ている間に女性武者の夢をみて建立されました。(なお、入口付近には鎌倉時代初期に平家一門の越後城氏と坂額御前が妙高市の鳥坂城跡で戦ったという掲示板がありますが、越後城氏と坂板御前が戦ったのは胎内市の鳥坂城なので、現在は否定されてます。)
森林公園の砂利道抜けた先のNo4駐車場が最寄りと思います。のろし場を過ぎると本丸への分岐あり、尾根沿いの曲輪を通るか、脇の登城路かに分かれます。尾根沿いを進むと2個目?の曲輪に堀切、土塁があります。南側に喰い違いの虎口があり、大規模な土塁、空堀が先ほどの堀切まで続いていました。浅い堀切と曲輪を過ぎると、深い、浅い連続、深いという順で堀切が連続してあり、本丸に至ります。この南側斜面には畝状竪堀があり、城跡一番の見所かと思われます。本丸からは上越平野、直江津方面が一望できます。本丸から一段降ると曲輪と虎口があり、その先に分岐の登城路に繋がります。北東にもう少し有りそうでしたが、ヤブ化していて引き返しました。
標高347.5m、比高約200m森林公園に駐車場、案内板があったしばらく歩くと城域に着く。連続堀切、大堀切、からの~畝状竪堀群が絶品♪( ☆∀☆)これでもかっってほどの大堀切を登ると主郭に着く。ちょっと降りると二ノ丸、三ノ丸がキレイに整備されてる。屋敷跡を奥に進むとまたウネタテ♪こちらはヤブってて見にくい。南西側はナカナカ行きにくいケド、やっぱりウネタテ♪びっしりウネタテに囲まれてることがわかった。眺めはモチ、バッツグーン♪\(^o^)/帰り道でタヌキさんと遭遇ゆっくり草むらに消えてった遺構のミゴトさに時間を忘れてしまう、最高クラスの山城でございましたヽ(*´▽)ノ♪
眺めが最高です。時間、天候によって景色を楽しめそうです。今度は時間帯を変えて訪れたいと思います。
森林公園、城方向の駐車場から徒歩15分程度でいけます急勾配の階段は棒を並べただけの細さなのでちゃんとした靴でいきましょう新井の町から海まで見渡せますなかなか景観はよいです。
高床山森林公園キャンプ場から、森林浴しながら軽く汗をかくのに、ちょうど良い所にあります。眺めが素晴らしい。このような山城を見ると、当時の建築の苦労と、時の権力者(殿様)のすごさを感じます。
名前 |
鳥坂城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.6 |
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2024年11月訪問。森林公園キャンプ場の近くになります。道は細く急坂なので対向車に注意してください。見どころは大堀切と畝状竪堀群になります。眼下に北国街道と飯山街道が通る交通の要衝に築かれており、御館の乱では景勝方が奪取。景虎方の動向を牽制しています。登城口から尾根伝いに進み、堀切の底から三の曲輪→二の曲輪→本丸、帰る途中で南の曲輪を見学。所要時間は1時間ほど。本丸までなら駐車場から片道10~15分くらいかと思います。本丸からは眺めがよく、上越の市街地が良く見えました。