歴史深い浮嶋神社で発見!
浮嶋神社の特徴
浮嶋神社は古くから鎮座しており、由来がとても深い神社です。
多賀城跡地に近く、歴史と歌文化の香りが漂う場所です。
見守るように位置する森の中の神社で、静かな雰囲気が魅力です。
創建年は不明だが、多賀城が創建のころから鎮座していたという歴史ある神社。参拝には急こう配の階段を登ります。境内は広くないというかコンパクトにまとめらていて、八幡神社・三居稲荷神社・大臣宮神社と摂社が3社もあり、多賀城が盛況な頃は浮嶋神社もかなり栄えていたのだろう。神社を護る狛犬は我慢強そうで冷静に見極めることのできる意志の強さを感じます。その他、御神石と呼ばれる古い手水鉢もあり、見どころが十分です。
多賀城市浮島に鎮座する浮嶋神社です。御祭神は奥塩老翁神、奥塩老女神。創建・由緒等は不明ですが、神亀元年(724)の多賀城創建の頃から鎮座していたと伝えられています。有り難く、浮嶋神社の御朱印を頂きました。(鹽竈神社の社務所にて拝受)
浮島住宅地と多賀城史跡の端っこにあり目立たない神社ですが、由来はとても古く、多賀城時代よりも前らしいです。境内社には、八幡神社、稲荷神社、源朝臣融石碑などがあります。
日本百名城、多賀城🏯跡地近辺に鎮座してます。階段を上った境内はそんなに広くはないが3つのお社が有りました。整備整理もされていたので清々しく参拝しました。
陸奥総社宮から府国多賀城駅へ向かう途中、団地の端に位置します。朝早かったので、ゆっくり境内を見て周りました。歴史のある神社ですね。QRコードからお神楽が見れます。
国府多賀城駅よりほど近い丘の上に鎮座。国土地理院の地図に高低差陰影をつけると、古代、この付近は湾になっていて、この浮嶋神社の鎮座地はまさに島であったのだろう。境内入口にある由緒案内によると次のとおり。ご祭神は奥鹽老翁神(おくしおのおきなのかみ)と奥鹽老女神(おくしおのおうなのかみ)、配祀神として贈正一位源朝臣融卿(ぞうしょういちいみなもとあそんとおるきょう)となっている。創建時期は不明だが、神亀元年(724)の多賀城創建の頃より鎮座し、この場所は古来、歌枕に詠まれた浮島に比定される地であったという。明治41年に現在の城南一丁目に鎮座していた大臣宮(おとどのみや)神社を合祀し、源融卿を配祀したという。境内には「歌枕浮島参道」という裏参道があり、この地を歌った和歌が掲示されている。「塩竈のまへにうきたる浮島の 憂きて思ひのある世なりけり」 山口王女 「新古今和歌集1379」
住宅地ににあり見守ってくれてるのでしょうね🙏
往昔、浮島は陸奥国の歌枕として遠く京の都にまで伝わっていた。浮島を詠んだ歌を紹介。「塩釜の前に浮きたる浮島の憂いて思ひのある世なりけり」(山口女王/古今和歌集)「陸奥は世を浮島もありと云ふを関こゆるぎの急がざらなん」(小野小町)「定めなき人の心にくらぶればただ浮島は名のみなりけり」(源順/拾遺和歌集)「定めなき浪にただよう浮島はいづれの方をよるべかとみる」(風情集)「浮島の花見る程は陸奥に沈める事も忘られにけり」(橘為仲)「塩釜の浦の干潟のあけぼのに霞に残る浮島の松」(後鳥羽院)「世のなかは なほ浮島の あだ浪に 昔をかけて ぬるる袖かな」(明日香井集)「いづくなる ところをかみし わが身より また浮島は あらじとぞ思ふ」(和泉式部)「たのまれぬ 心からにや 浮島に たち寄る浪の とまらざるらん」(中務)「浮島の 松の緑を 見渡せば ちとせの春ぞ 霞そめける」(清原元輔)
思ったより大きくて綺麗だったし、調べたら浮神社には沢山の歴史があることがわかった。多賀城の魅力の一つ‼️
名前 |
浮嶋神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
022-367-1611 |
住所 |
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HP |
https://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020330 |
評価 |
4.1 |
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陸奥国 宮城郡 延喜式内 浮嶋神社 であり塩竃神社十四末社の一 浮島明神です。扇を彫り込んだ手水鉢は珍しいですね。境内社の大臣宮は以前は別の場所にあり、こちらも塩竃神社十四末社の一 大臣明神です。もう一つの境内社は驚きました。由緒が事実であれば陸奥国では所在不明とされている国府八幡宮です。(多賀城市八幡にあったとされる八幡宮では国府から離れすぎていて信憑性に欠ける)謂れのある社が盛りだくさんで素晴らしい神社でした。