県境の明神で心清めて。
境の明神(栃木県側)の特徴
文献に多く紹介される境の明神は旅人の安全を祈る神社です。
旧陸羽街道沿いに位置し、パワースポットとしても知られています。
衣通姫様にまつわる和歌の神秘が感じられる素敵な神社です。
国境に二社が並立して存在する旅する人々によって道中安全の神として信仰の対象になった(案内板より抜粋)
県境、栃木県側の神社。
芭蕉句碑は隣の「境の明神(奥州側)」にあります。
県境に隣同士で建つ神社です。白河市側に駐車場もあります。自動車の往来が結構激しいので注意しながら県境を楽しみましょう。
県境にあるのがいい。福島県側と栃木県側にあります。
衣通姫様は、19代允恭天皇のお妃であり、和歌にも秀でていました。小野小町と比べられる存在です。和歌山の総神社の玉津島神社に衣通姫様が祭られたのは、58代光孝天皇の時代です。天皇が、夢で19代天皇のお妃が【立ちかえり またもこの世に 跡垂れむ その名うれしき 和歌の浦波】と詠まれたからです。和歌三神とは、実は、四神なのです。和歌姫様(ヒルコヒメ様)、衣通姫様、住吉大神様(カナサキ様)、柿本人麿呂大神様です。和歌姫様(ヒルコヒメ様)と住吉大神様(カナサキ様)との関係は、第七代天神(アマカミ)イサナキ様とイサナミ様の長女が和歌姫様(ヒルコヒメ様)であり、住吉大神様(カナサキ様)が養父に当たります。古事記日本書紀では、川に流したとして、存在自体を消してしまっています。和歌姫様(ヒルコヒメ様)は、セオリツヒメ様(サクナダリホノコ様、ムカツヒメ様)二人と女官30人で、和歌山の水田を囲み、害虫に襲われていたところを32文字の和歌と烏扇(桧扇)(押し草と赤のぼんぼり2つ付けて)12枚に因って救った功績を持っています。By ロックベル。
県境にある栃木側の神社。
神秘的な素敵な神社でした❗
パワースポットなのでしょうか、ふと立ち止まります。
名前 |
境の明神(栃木県側) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75152 |
評価 |
3.7 |
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明神は、「関明神」とも「境の明神」ともいわれ、文献に紹介されることが多い。古来国境には関をはさみ男女二神を祭るのが習わしであった。関東側を玉津島神社、奥州側を住吉神社という。(文献により逆説もある) 関の二所明神は、南部藩お抱え力士の軍之丞が創設した相撲部屋「二所の関部屋」ゆかりの地ともいわれている。 玉津島神社は、天喜元年(1053)4月14日、紀州和歌浦の玉津島神社の分霊勧請と伝えられている。祭神を衣通姫(そとおりひめ)という。古来和歌の神として知られ、和歌を奉納した記録もある。福島県側に住む石井家には天保3年(1832)、玉津島神社へ奉納した和歌集が保管されていたが、今は白河市へ管理を移管し、同市が所蔵している。表書きに「奉納百首和歌」とあり、別に玉津島社奉納和歌作者目録がある。芦野家の家臣である松本風阿(ふうあ)が奉納したものである。なぜ石井家が所蔵していたかは不明であるが、一説に石井家(屋号は南部屋)は関守(せきもり)であったといわれていることから、奉納された社宝を管理していたと考えられるが、和歌集には「白川関鎮守」の文字があり境の明神ではなく、白河の関の玉津島神社へ奉納されたものであることが分かる。(白河神社は元亀二年・七七一、天太玉命、住吉明神・中筒男命、玉津島明神・衣通姫命を祀ると伝えられている。おくのほそ道の曾良の随行日記にも「宿ヲ出ル 町ヨリ西ノ方ニ住吉玉津島ヲ一所ニ祝奉宮有」とあり、この地に玉津島を祀る社があったことを裏付けている。白河の関は松平定信によって寛政12年・1800に関跡であることが定められた。天保3年には白河の関が旗宿であることは明らかになっていたと考えられるので、白河の関が境の明神にあるとの解釈はしないであろう。石井家に和歌集が存在したこと自体不透明である) 玉津島神社の南に隣接して別当寺宝寿山聖観寺があったが、火災に遭い再建されていない。石垣だけが残り、往時を偲ぶのみである。(福島県側は和光山豊神寺という)