信康公の霊廟、歴史の息づく地。
清瀧寺の特徴
徳川家康公の嫡男・信康公の霊廟がある由緒あるお寺です。
二俣城の井戸櫓が再現され、歴史を感じることができます。
本田宗一郎ものづくり伝承館と隣接し、観光地としても魅力的です。
徳川家康の息子信康公の廟所があります。境内には江戸時代のガイドブックに掲載されていた井戸櫓や徳川家康公お手植えの蜜柑の株分けが植わっています。本田宗一郎記念館に寄った際はついでに立ち寄ると良いところです。
手入れは万全とはいえない感じでしたが、大きな銀杏の木はとても綺麗でした。奥の信康廟へ階段を上がると息を飲むような美しい紅葉、黄葉を見ることができました。1本の木に鮮やかな紅、黄、緑の葉が日の光に輝いていました。私的に今年最高の紅葉でした。井戸櫓も見られたし、素晴らしい1日になりました。
清龍寺(せいりゅうじ)所在地 浜松市天竜区二俣町二俣1405宗 派 浄土宗山 号 信康山院 号 長安院寺 号 清龍寺寺 格 知恩院末寺御本尊 阿弥陀如来文化財 徳川信康霊廟京都市東山区にある浄土宗の総本山である「知恩院」の末寺になるそうです。徳川家康の嫡男でありながら、清洲同盟(きよすどうめい)の時代に織田信長の口難(武田勝頼に通じているとの嫌疑)に逢い、父・家康の命により二俣城において切腹させられた、松平信康(岡崎三郎信康)の廟所として、家康によって建立されました。毎年10月初旬に、非業の死を遂げた信康の霊を慰めるべく「信康まつり」が行なわれます。自害した徳川信康を葬る浄土宗の寺が、ここしか無かったとか。当時は小松原長安院だったが後に、家康によって清瀧寺に改められたそうです。しかし、21歳で切腹とは、さぞ無念だったでしょう。法名は騰雲院殿三州逹岩善通大禅定門。2023/9/15に、信康公の四百四十四回忌の法要がいとなわれます。
徳川家康の長男、松平信康公の廟所があります。雨降りだったせいか静かで寂しい感じがしました。駐車場はすぐ横にありますが長時間駐車禁止です。
浜松市天竜区二俣町にある徳川家康の嫡男・信康公御廟があるお寺さんです。小さな山あいの町のひっそりさした山中に信康公の御廟があります。御朱印も拝領できます。織田信長、徳川家康・信康、武田信玄。戦国時代と深い関わりがある二俣の町を散策したながお参りするのも良いものです。
名前からして「信康山 清瀧寺」‼️⭐️1581年、徳川家康、織田信長の謀反の疑いをかけられ、近郊の二俣城で自刃した嫡子/岡崎三郎信康の霊を弔うために家康自ら建立、本堂に向かう途中の池には枯れたことのない一筋の清らかな滝、家康自ら「清瀧寺」と命名🤔⭐️二俣諏訪神社から清瀧寺入り口参道脇、二俣城の「井戸櫓」再現、初めて見ました、凄いです👀⭐️本堂の裏山が丁度「信康の霊廟」でしょうか、何ですか雰囲気漂ってます😃⭐️個人的に感動したのは✨「信康霊廟」入口の内側、右側に小さな石塔が4つ並んでいます、哀愁‼️・徳川家臣で二俣城落城時の主将/中根正照と副将/青木吉継の石塔…生きて城を明け渡した三河武士としての恥辱を三方ケ原の合戦を死に場所と晴らすべく武田勢に斬り込み討死した二人🐎・信康自刃した際の城主/大久保忠世⇒後の小田原城主、子は大久保忠隣⇒「三河物語」著者/大久保彦左衛門忠教の長兄・信康自刃した際に殉死した吉良初之丞⇒信康の近侍訪問出来て良かったです🚶
徳川家康公の長男であり嫡子であった信康公の御廟があることで有名なお寺さんです。本田宗一郎伝承館とほぼ隣接なので、どちらも訪れてみてはいかがでしょうか。
ホンダ宗一郎ものづくり伝承館とセットで訪れました。昔ながらの吊り下げ式の井戸があり、ノスタルジックに浸れます。また、訪れたいと思います。
非業の死を遂げた徳川家康の嫡男『信康』の霊廟があります。東には本田宗一郎ものづくり伝承館、少し南に歩くと、戦国時代の天守台が残る二俣城、さらに南には景勝地でもある鳥羽山城があった鳥羽山公園もあり、合わせてハイキングで訪れることをお勧めします。
| 名前 |
清瀧寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
053-925-3748 |
| HP |
http://www.hamamatsu-books.jp/category/detail/4c8db56c57587.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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徳川家康公の長男である、松平信康公の廟所と二俣城に有った井戸櫓を再現して作られたと言う井戸櫓を見に行きました。ちょうど他には誰も来ていなかったので、ゆっくりと見ることが出来て良かったです。