荘厳な羽黒神社で歴史を感じる。
羽黒神社の特徴
茅葺きの屋根が特徴的で、荘厳な雰囲気が漂う神社です。
上杉鷹山が師を迎えた歴史的な場所が魅力の一つです。
本殿や境内はいずれも国指定の史跡として誇らしい存在です。
茅葺きの屋根で立派です。鈴の鳴らし方が面白いです。後から調べたのですが、由緒ある神社だったのですね。-羽黒神社は大同元年(807)に勧請したのが創建とされ、暦仁元年(1238)に現在地に遷座しました。江戸時代には米沢藩主上杉家の崇敬社として庇護されています。羽黒神社の境内は寛政8年(1796)に当時の米沢藩主上杉鷹山が藩政改革で師事した細井平洲を迎えた地として貴重な事から、名称「上杉治憲敬師郊迎跡」として国指定史跡に指定されています。
由緒ある神社で、荘厳な空間が神秘的です。米沢市街地からはかなり離れていますが、一応奥羽本線の関根駅からは歩いてすぐなので、アクセスはいいほうかと思います。この羽黒神社は上杉治憲敬師郊迎跡として国史跡に指定されています。上杉治憲は広く上杉鷹山として知られていますが、その鷹山公の思想の根幹は師の細井平洲より受け継がれたものです。そして鷹山公が13年ぶりに平洲と再会したのがこの羽黒神社でありました。この時すでに平洲は69才を迎え、江戸より米沢へと来訪したのです。この際、鷹山公に手篤いもてなしを受けた感激を平洲は手紙にして門下に送り、その一節を石碑に刻んだ一字一涙の碑が普門院境内に建っています。以下、『米沢の神社・堂宮6 ー山上地区ー』を参考にしています。関根の羽黒神社は大同元年(806)の創建と伝えられ、山上地区の総鎮守として信仰されてきました。当初は羽黒堂と呼ばれ、明治の神仏分離の影響で村社大物忌神社(のち郷社)と改称、最終的に羽黒神社と改称されたのは昭和7年のことでした。そのため、境内には大正四年建立の「郷社大物忌神社」と刻まれた旧社号標が遺されています。また、庄内羽黒山より最上川を遡ってきた神木の伝説も残っており、その神木から3体の羽黒大権現の神像が造られ、その一つがこの関根の羽黒神社に祀られたというものです。残る2体の神像は同じく米沢市内、おたかぽっぽで有名な笹野の笹野観音堂と、道の駅米沢付近の川井の羽黒神社に祀られているということです。写真撮影月 平成30年9月、令和2年4月。
羽黒神社は、上杉鷹山が師である細井平州を藩主自ら、郊外まで出迎えもてなした場所として境内が国の史跡に指定されています。すぐ近くの普門院にも鷹山と平州のエピソードが多数残されていて同じく史跡指定されてますので、江戸時代は羽黒神社と普門院は一体の存在であった事が分かります。神社は史跡ですが、駐車場もなくひっそりとしています。とは言え神門がしっかりと有り、参道には多数の石碑と摂社が連なっており、歴史の深さを感じる事が出来ます。社殿も古びていますが立派で、大名が使用していただけの事はあると思います。山裾の片田舎ですが、すぐ目の前を山形新幹線の線路が横切っており、新幹線が猛スピードで通り抜けていきます。昔は細井平州が難儀して越えた板谷峠も、現代はあっと言う間です。
ここ羽黒神社の本殿や境内は「上杉治憲敬師郊迎跡」として国指定史跡になっています。歴史的価値の高い神社なんですね。その割には他の参詣者に会うことが無いほど淋しい神社でした。
木の力強さ、建物の温かさが伝わってきます。癒しです。
名前 |
羽黒神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://yamagata-jinjyacho.or.jp/wp/blog/archives/jinjya/%E7%BE%BD%E9%BB%92%E7%A5%9E%E7%A4%BE-3 |
評価 |
4.0 |
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初めて訪問しました。神社の外は暑いのですが神社敷地内に入りましたら立木が大木でうっそうとしており涼しく感じました。