家康寄進の梵鐘を観に来て。
珠玉山 宣光寺の特徴
家康寄進の梵鐘がある、歴史深い寺院です。
遠州三十三観音霊場の十七番札所で、ぜひ訪れる価値があります。
旧東海道に位置し、見附宿からのアクセスも便利です。
徳川家康公が寄進したとされる梵鐘がある寺院。静かな雰囲気が良し。
遠州三十三観音霊場 十七番札所 曹洞宗 十一面観音菩薩。
駐車場が広くて良かったです。
遠州三十三観音霊場の第十七番札所でもある珠玉山 宣光寺は、安土桃山時代の1596年に開創された妙厳寺(豊川稲荷)末の曹洞宗寺院です。ご本尊として十一面観世音菩薩を祀り、本寺から勧請した豊川稲荷も信仰を集めています。本堂西の「延命堂」内陣には、平安時代後期の作で静岡県指定文化財となっている地蔵菩薩坐像(延命地蔵菩薩)と毘沙門天立像の他、磐田市指定文化財の不動明王像と木喰作の子育て地蔵像も安置されています。1587年(天正15年)、徳川家康が戦国時代に戦死した多くの武将を供養するため、信仰していた延命地蔵菩薩のために寄進した磐田市指定文化財の梵鐘は、写真にあるように「大担越 源家康 敬白」の銘があったため、太平洋戦争中の金属供出を免れたそうです。「源家康」が徳川家康であることが意外かも知れませんが、「征夷大将軍」の官職を得るためには源氏の流れであることが必要であったため、「源朝臣(あそん)家康」という源姓の名前も使っていました。ちなみにもともとはの姓は「松平」でしたが、「従五位下・三河守」への任官時に「徳川」に改めて「藤原氏」を名乗りました。その他秀吉の家臣時代には「豊臣・羽柴」姓を使っていたらしく、私が知るだけでも6種類の姓を使ったようです。家康の生母である於大の方は水野家出身なので、母方は源氏の流れなのでしょうが、父方である三河松平姓のルーツは、加茂氏だったとか、単なる西三河(豊田市松平町あたりか?)の土豪だったとか諸説があり、はっきりしていないようです。
淡海國玉神社の御朱印を授与して戴く為、見付天神さんまで行く途中「豊川稲荷分院」の案内が見えたので、何処かなと歩いていると左側に見えたお堂を頼りに入って行ったのが、宣光寺さんでした。路地の正面にあったのは、本堂ではなく地蔵堂でした、右側が本堂。豊川稲荷は、何処かなと地蔵堂の左側の奥にありました。お世辞にも、立派とは言えないお社でした。境内には、大きなイチョウの木がありまして、ご住職曰く「イチョウの葉を持ち帰り願かけをすると叶う。」との事、枯れたら捨ててしまって良いそうで、持って帰りました。家康寄進の鐘もありました、家康の名が刻まれた鐘だったので、先の戦争中の金属供出も免れたそうです。
家康が寄進した釣鐘があるお寺です。
徳川家康ゆかりの場所。
旧東海道の見附宿の街中を北に入ったところにあります。広い敷地を持つ、美しい庭のある寺院です。珠玉山、宣光寺は曹洞宗で、本尊は十一面観音菩薩です。遠州三十三観音霊場めぐりの17番札所ですが、日本三大地蔵尊と言われる、平安時代作の木造像の延命地蔵菩薩が有名です。身代わり地蔵の別称で呼ばれて、本堂横には、りっぱな地蔵堂があります。三方ヶ原の戦いで、武田方に追われた徳川家康は見附に逃げこむと街中に火を放ち、敵をまこうと謀った。火から逃げようとする町民を助けるために、地蔵は幼児に化身して、火傷を負いながらも火を消しました。 地蔵尊に深く帰依した家康は、後に天下人となり、梵鐘を寄進しています。地蔵菩薩像の両脇には毘沙門天像や、不動明王があります。宣光寺の創立は不詳です。古くは時宗でしたが、愛知県豊川市の妙厳寺(豊川稲荷)の住職によって曹洞宗に改宗しました。境内には、豊川稲荷を祀っています。
寺そのものより、家康が寄進した梵鐘は観ておくべきです。
| 名前 |
珠玉山 宣光寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0538-32-2489 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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敷地は、それほど、広くはないのですが、家康寄進の梵鐘、身代わり地蔵等々、けっこう、見どころもあって、良い時間を過ごさせていただきました。