徳川家康が守った千年の楠。
浜松八幡宮の特徴
樹齢1000年の御神木『雲立の楠』がある神社です。
家康が隠れた伝説の地で、由緒ある八幡宮です。
浜松という地名の由来があり、神聖な雰囲気の境内です。
浜松城の鬼門の方向にある八幡宮。938年に松をこの地に移植したのが浜松の名前の由来にもなったそうです。浜松市の市街にありながら、緑に囲まれた静寂の空間。直ぐ側に遠鉄の駅もありアクセス良好、結婚式場やレストランもあり、駐車場も多数ありました。
24時間営業とのことなので、夜になっていましたが、御参りしました。
新浜松駅から、遠州鉄道の高架線で街並み眺めながら十数分で到着。浜松駅前ホテルからの朝の散歩にちょうど良かったです。
楠木倶楽部でランチをしました。静かで落ち着いた雰囲気が癒されます。
焼津から自転車で強風に向かって走ること4時間。目的地である浜松八幡宮は街中にあり、木々が生い茂ってるのが見えたので道標になりました。ここの見所は「雲立の楠」なんですが、めちゃくちゃ大きい楠の木で樹齢は1000年超え。1572年に徳川家康がこの楠の木の洞穴で身を潜めていたのだそう。余裕で隠れられますね。雲立の楠のご利益にあやかり、くすのき御守りが販売されてます。すごく雰囲気のいい神社で2025年幸先のいい自転車旅のスタートを切りました!
浜松市の遠州鉄道の八幡駅近くにある浜松八幡宮へ土曜の昼の12時過ぎに行って来ました♪祭神は応神天皇や神功皇后、神武天皇等となります。そして樹齢1000年以上と言われる大きな楠の木がありましたね。雲立(くもだち)のクスとも言われるようです。というのは、元亀3年(1572年)に徳川家康は武田信玄により三方原合戦に敗れ、武田軍に追われてこの楠の洞穴に潜み、その時、瑞雲が立ち上がったという故事により「雲立の楠」と称されるようになったようです。それにしても立派な楠の木でした♪また神社内にはかなり上質そうな楠倶楽部があり、この日は結婚式が開催されていましたね。
浜松に行ったので、地元の神様にご挨拶に行きました。参道も有り趣あるお社で、足を伸ばした甲斐がありました。御朱印も頂きました。
浜松市内の神社です。御神木の大きさは驚きます。ふたつに別れてるのかと思いましたが、繋がってました。徳川家康が隠れたと言われるこの御神木は見応えがあるとおもいます!
八幡太郎義家、足利義政、徳川家康と縁の深い神社です。「はままつはざざんざ」と義政公が詠んだ「ざざんざの松」や三方原合戦で逃げ込んだ家康公を守った「雲立の楠」などなど見どころ満載です。
| 名前 |
浜松八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
053-461-3429 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
〒430-0918 静岡県浜松市中央区八幡町2−2 楠俱楽部 1階 |
周辺のオススメ
浜松八幡宮(はままつはちまんぐう)。静岡県浜松市中央区八幡町。式内社(小)許部神社(こべじんじゃ)、旧郷社。主祭神:玉依姫命 - 綿津見神の娘。彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の妻で、神武天皇の母。誉田別命 (応神天皇)、息長足姫命 (神功皇后)資料によると、仁徳天皇の御代、遠淡海の鎮静のため、海運の神である玉依比売命を許部の里(現・中央区小沢渡町付近)に祀り、平安時代の延喜式には許部神社と記される。938年(天慶元年)に神託によって現在地へと遷座し、1051年(永承6年)には源義家(八幡太郎)によって八幡二神(品陀和気命・息長足姫命)が勧請され、多くの武家庶民の崇敬を集めた。1570年(元亀元年)に徳川家康が、居城を岡崎城から浜松城へ移し、本八幡宮を鬼門封じとする。1572年(元亀3年)の三方ヶ原の戦いで敗走した際には、徳川家康は本八幡宮に逃れ、社前の楠の洞穴に潜み、武田勢の捜索を逃れたとされ、その際この楠より瑞雲が立ち上った事から、以後「雲立の楠(くもたちのくす)」と呼ぶようになった。その後、徳川家康は本八幡宮を徳川家代々の祈願所と定め、旗、弓、神馬を奉納し、家康が江戸に府在の折は、名代を使わして参拝した。とあります。